盗作と贋作

今回は「芸術」について語ろうと思う。

去年のことですが、著名な洋画家の和田義彦氏が知人のイタリア人画家、アルベルト・スギ氏の作品に酷似した絵を複数出品したとしいう事件がありました。
数点の和田氏とスギ氏の絵を見ると、「なんでここまで同じ構図を描いたのだろうか?」と疑問に思う人が多いと思う。
盗作か贋作のどちらかといえば、構図を拝借した点で盗作になると思われる。

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ところで、盗作と贋作の違いはなにか?
盗作というのは、他人の作品やアイデアを自分の作品として発表することであり、贋作というのは、他人の作品を真似て作り、他人の作品として発表することである。
したがって、絵画の場合は文章と違って盗作かどうかの判断は難しい。
なぜなら、素材として他の絵を参考にする場合、少しは変えれば盗作にならない。文章や音楽の場合は、表現が同じなので、すべては盗作であって、例外なく贋作は作れない。音楽の贋作があるとすれば、コピーバンド演奏という範疇になろう。

それ程、盗作には成りにくい絵画の場合において、いくらスギ氏の絵がイタリア国内だけで流通していると雖も、すでに名誉も地位も得た画家が、まったく同じ絵を、みすみす描くなんて頭がオカシイのではないか?という疑問があると思われる。

しかし、この和田氏の心理状態が、私にはおぼろげに判るような気がする。
なぜ「まったく同じ絵を描いてしまったのか?」について私の意見を書こうと思う。

私は高校時代に油絵を描いていたが、良く模写をしていました。
「創造は模写から始まる」といわれるように、印象派のセザンヌやモネの絵を模写することによって絵画の技法を修得できる早道である。
セザンヌの構図、ルノアールのタッチを覚えて自分の画法にしてゆく作業は盗作でも贋作でもなく、絵の勉強である。

ある程度、技術を修得してくると絵画が判るようになってくる。
絵画が判るようになると、魅せられる絵画に出会うようになる訳である。

例えば、マチィスの絵画に限りなく魅せられると、マチィスのような絵を描きたいと切に思うようになる。
そこでマチィスのようなムードの自分の絵を描こうとする。
絵画を描こうとすれば最高の絵画が描きたいと思う訳で、あれこれ試行錯誤して絵を描き始める。壁にぶつかる。「この窓の色はどうやって塗ればいいのか?」と悩む。この場合、解答はマチィスである。これが曲者なのである。常に最高の解答はマチィスの絵の中に存在するのである。

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マチィスの絵画を見て、おお!やっぱりマチィスの才能は最高だ!と感激しながら、絵を書き進める。
すると、出来上がった絵は、マチィスの絵とまったく変わらない「窓」が出来上がるのである。
なぜなら、マチィスが最高だからだ。真似たのが判るから少し変えるなんて妥協が出来ない。変えたら自分が気に入らなくなるからである。
最高の絵を描いたらマチィスと同じになるしかないのである。
和田氏は、描きたい絵画を描いていったら、スギ氏の絵画とまったく同じになってしまった訳であろう。


さて、この和田氏の事件が「盗作の象徴」であるとすれば、「贋作の象徴」は、加藤唐九郎の「永仁の壷事件」であろう。

この事件は、永仁2(1294)年という日本の古陶磁の中で最古の年銘をもつ2つの瓶子が、小山富士夫文部技官によって重要美術品として提案され、重要文化財になったのであるが、実際は、当時すでに巨匠であった「人間国宝」加藤唐九郎が若き日に作った贋作であったという事件である。

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「永仁の壷」は戦前、自らの技術の誇示を含め、習作として古い作品を模倣して加藤唐九郎が作った習作である。こうした習作は、私の高校時代の模写と同じである。
当時、無名であった唐九郎は、志野茶碗「氷柱」を世に出し、当時の大茶人である益田鈍翁が、唐九郎の茶碗に惚れ込み、茶碗の銘を与えたというから、唐九郎の陶芸家としての才能は高かった訳である。

「永仁の壷」事件は、その若き日に制作した壷に、知人に依頼され永仁年号を彫りこみ壷を焼き上げたのである。
その理由は金銭報酬の為であると言われているが、この事件も和田氏のように「なぜ唐九郎が贋作なんかを作るのか?」と疑問が上がった。

しかし問題は、唐九郎が金の為に贋作を作ったということよりも、こんなスキャンダラスな大事件の後でも、小山富士夫も唐九郎もその後も高い評価を維持し地位を無くしていないという点である。

これは、盗作と贋作の違いというか、贋作とは、他者を偽る意図をもって絵画、彫刻、書などの芸術品や工芸品に似せて模倣品を作成するのであるから、「他者を偽れる作品」が出来なければ贋作として成立しないわけである。いわば贋作でも名品ならば、贋作を越えるということであろう。

私は、「永仁の壷」には、唐九郎の並々ならぬ芸術家としての自信があったと思う。いわば「この贋作は誰にも見破れぬ程の良い壷である。否、どの永仁時代の壷よりも永仁の壷に相応しい壷である」という自信と自己陶酔である。

さて、和田義彦が盗作で、加藤唐九郎が贋作であると言われ、贋作でありながら、「さすが唐九郎」という賛美の声が一般大衆からの多く上がったけれども、今回の和田氏の事件の場合は、誰も賛美しないというのは、やはり芸術的価値の違いであろうと思う。

もし絵画において盗作で賛美されるには、たとえば、ゴッホの絵画を真似て、ゴッホ以上の絵画を描いた場合に限られるであろう。

私は「贋作と盗作の違い」を考えることによって、「芸術家の価値とは何か?」を示唆しているように思うのである。


ここまで読んでくれて有り難うございます。

ところで、、「紅白」で抗議殺到したDJ OZMA(氣志團 綾小路翔)の「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」であるが、なかなか素晴らしいライブだと私は思う。
見ていない人の為に贈る。(YouTubuより)


外国でもニュースになったらしいけど、最近、ここまで熱いライブを見たことがないんですけどね。




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この記事へのコメント

2007年01月13日 10:45
和田氏の作品は話題になってからしか知りませんが以前はオリジナルな作品を描いておられたと聞きました。奥様を亡くされてから徐々に問題になったような作品を描かれる様になったそうです。
私生活の変化が創作意欲に関係があるのかどうかはわかりませんが・・・
模倣と言うのはどんな分野にでも学習の手段として有効な方法ですよね。
書道においては歴史ある大家の作品を書写する事がまずは大切な事ですから・・・
文章でも好きな作家の作品をそのまま書き写す事がとても勉強になるのだと聞きました。
「盗作」や「贋作」となると話は別ですけどね・・・♪
2007年01月13日 14:19
絵のオリジナリチィーの大半は『構図』だと思うのです。
色をのせることについては、上手いな方はいくらでもいらっしゃるでしょう。
ご本人が画家で指導者でもありますから、そのお立場からしても、スギ氏との関係にしても、盗作と疑わしい作品の数の多さからも、問題視されても仕方ないだろうと思います。
私の好みとしては、スギ氏より和田氏の絵の方が良く見えるんですけど、両方を比べてた時の構図の酷似は、プロとしてイカンと感じるのです。
ところで、エイジさんは絵もなさるんですね。
以前ペイントで描かれたものを見て「タダ者ではない」と思っていました。

KISHIKO
2007年01月13日 19:09
わたしは、この事件から、贋作かどうかと言う事より、世間で非常に評価された作家の、非常な苦悩を感じずにはおられません。

期待に答えて、新しいものを想像するときの苦しみ。
何を描いたらよいのか、
何を描きたいのか?

ただでさえ、孤独な作業なのに、世間から評価をうけたばかりに、非常に大きな重圧を抱えてしまいました。
実は、和田氏は同じ高校の先輩にあたり、私も若い頃、絵をやっていたので、絵を描く苦しみはよく解ります。
美術は、音楽と違い、非常に孤独な作業ですものね。
本来ならば、内から泉のように湧き溢れてくる、イメージを表現できればよいのですが、人間必ずしもそうではない。
そんな、簡単に、いつも湧いてくるわけでもありません。

又、同じ絵の評価も、専門家同士でも異なります。

いつしか製作の喜びが、苦痛に変わり、幾度となく、こどもの頃のように、純粋に描く喜びでいっぱいだった頃に戻りたいと思ったことも多かったです。それだけ、自分が凡庸だったのですけれどね・・・

作家は皆、そういった宿命を持って、日々作品に向かっているんですね。


2007年01月14日 15:56
和田氏は若いときから才能に溢れる画家でしたが、名誉を得てからは人間が変わったようですね。
しかし、和田氏の性癖も天才的な芸術家にはありがちな話であると、一種の勲章のような面もあった。
問題を起こすと芸術家の性癖と評価されていたことも犯罪者の一種のように報道されてしまう。
これは芸術家の宿命でしょうな>サンタママさん
2007年01月14日 16:08
うーむ。むつかしいなぁ
絵画の構成要素は「アイデア(構図)」と「技術(色彩)」が有ります。構図の場合はアイデアなので、100人いれば100人の構図のアイデアが出来るかも知れません。
たとえば、赤ん坊の描く絵が、プロよりも独創的でも有り得る訳です。しかし、色彩は違います。
色彩こそ、画家の才能の尺度であり、技術力の尺度と思われます。赤ん坊は決して才能のある画家のような色彩は出せません。
私や友人達のように、多くの絵を志す者が、才能の限界を感じるのはじつは色彩の能力なんですよ。
日本画の贋作を見破るのも、やはり色彩の能力なんですね>かなさん
2007年01月14日 16:14
なるほど。そういう面もあるかも知れませんね
特に音楽の場合は、オリジナルの曲をそんなに沢山作れる訳がないですよね。
絵画の場合も、ほとんど思いつく絵は誰かが描いているか?もしくは以前に自分が描いている場合が実際は多いでしょうね。
スギ氏の絵画は、和田氏にとって非常に新鮮なアイデアの源泉になったのでありましょう。
たとえそうだとしても、和田氏の画家としての限界を物語るという事実に他ならないですがね>kishikoさん
読むのが嫌い人より
2007年01月15日 08:04
だらだら書くのはやめ、短めに書きましょう。
そのうち、皆さん読まなくなりますよ。
2007年01月15日 12:31
うむ
そーかも知れんが、私は書きたいことを書く方針なのである。
実際は、長い文より、短い内容にまとめる方が時間がかかる(汗)
2007年01月16日 14:13
やっぱりNHK出入り禁止ですかぁ。何かやらかしそうだとは思っていましたが、びっくりのステージでしたよね。でも、あの曲のオリジナルはもともと韓国?っだったか台湾のものだそうですね。
タイにもDJ.OZMAにカバーして欲しい曲はたくさんありました。
国境を越えて、音楽を楽しむと言う点では、私は肯定派です。
でも、絵に関しての偽作や、盗作、贋作はあまり見たくないです。
練習ならまだしも、販売となると、首をかしげてしまいますよ。
2007年01月16日 22:40
私は昔、美術部でしたね~・・・そういえば・・(~_~;)
絵を描くにしても好きな画家に似てくるものです。それをどうやって自分のものにするか・・・・これはかなり難しい。どことなく「似てくる」のです。はじめっから「自分のもの」を持って、それを世に送り出せるのはほんの一握りの人間のみ・・・(ー_ー)!! 
個人的な意見としてオズマはいいと思うけど・・・ちょっとやりすぎたのかな?とも思います。でもこうなる事は予測できたと思うので・・・オズマにしてみれば成功だったのかな???・・・ともとれるな~~~   


2007年01月17日 01:03
日本画の贋作と本物の見抜き方を本職の人から教わったことがあるのですが、遠近感とか細部の細かさという「技術」で見抜くそうですよ。
それを聞きながら「本物はやっぱり画が上手いんだ」という感動を覚えました。というのは、「上手くないと一流に為れない」という事なんですよね。>noriさん

うーむ。考えながらのコメント有り難うございます。
ところで、万千ママも美術やってたんだ!と感動しました。どおりで雪の上に描いたアンパンマンの画がプロ並に上手い筈だ。
綾小路は、あの振り切れ加減が好きです。>万千ママさん

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