世界を救う方法

私は世界を救う方法を考えました。全人類を残らずあまねく救う方法を考えました。
そして判ったので書こうと思う。

例えば、世界が険しい岩石だらけの山道としましょう。そして人生とはその山道を旅する者です。
しかも人生行路の旅人は裸足としましょう。

どうすれば、裸足の者を怪我せずに岩山を歩かせることが可能でしょうか?

考えられる方法は、
① 山道にあまねく絨毯をひくこと
② 足の裏に絨毯を履くこと
ではないかと考えるのです。

どちらの方法が確実かと考えるに、① 山道に絨毯をひくこと は不可能です。
キリマンジェロの山道に絨毯を敷き占めるなんて不可能です。
私は当初これを考えてまして途方に暮れたのです。

実際には、② 足の裏に絨毯を履くこと しか選択が無い訳ですね。
この考え方に気付いた時、私の中で「灯り」が灯った気がしました。
これならなんとかなりそうと私は希望を持ったのです。

これをリアルの世界で考えるのならば、
①の方法は、「政治」とか「経済政策」でありましょう。
②の方法は、個人の運を高めること、すなわち「哲学」或いは「品性の完成」もしくは「宗教」ではないかと考えるのです。

通常、宗教は迷信で、政治や経済で世界を救えると考えるのが常識ですが、実際は政治で全人類を救済するのは不可能なのです。
そもそも、政治とは全員を遍く救うことでは無くて、100人を助ける為に1人を犠牲にするのが善で、1人を助ける為に100人を犠牲にするのを悪と考える。しかし宗教は1人を救うために100人を犠牲にします。イエスは1匹の羊が迷子になったら99匹の羊を置き去りにして探しに行くと言っています。阿弥陀如来も一人も残さず救い上げると言っています。考えればすぐ判ることですが、そもそも、人は生まれた「偶然」によって運命が左右されるのです。
中東に生まれたのか?イスラエルなのかイランなのか?日本に生れたのか?北朝鮮に生まれたのか?アフリカに生まれたのか?

実は環境によって運命が変わるのであり、同じ地域によっても運命が違うのはなぜか?
それは「政治」による差では無く、足に絨毯があるかないかの差では無いのか?

即ち、人類を遍く救うには、政治とか政策では不可能であり、いわゆる山道に絨毯を敷き占める政治や経済政策では無く、
足に絨毯を履く如しの個人の品性完成しか人類を遍く救う方法は無いのです。
つまり、誤解を恐れずに言うと、災害に遭う人と遭わない人は同じ地域にいても差がでますが、その理由を鑑みるに不明な点が多く、
それは言わゆる運と呼ばれますが、幸運不運の差は、運の差であり、運命を開くには実際には個人の運を高めるしか方法は無いのであります。
結局、個人が救われなければ全体の救いは無く、政治・経済よりも、哲学・宗教・道徳の善の優位性及び現実力を提唱します。

参照:陰徳を積む方法

アスリートと言うと、フィジカルな能力いわゆる肉体を能力を高める者と思われますが、
メンタルを高める即ち品性を高める者もアスリートなのです。
そして、政治や経済政策では無く、個人がメンタルアスリートに成り、
即ち個人個人が良き人間になろうと努力すること、そしてそれを啓蒙することが、
実のところ、唯一世界を救うことになると発見した次第であります。

twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。

"世界を救う方法" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント