令和の歴史的意味

令和について思う事を書こうと思います。
重要なことは、日本の元号は、従来、中国の古典から採用されてきましたが、
「令和」は初めて、日本の古典である万葉集から採用されたことある。

その歌は、
「時、初春の月にして、氣淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」であり、
「梅花の歌三十二首」の序文で大友旅人が詠んだ歌である。

その「梅花の宴」は、福岡県太宰府市の「坂本八幡宮」で催された。
さて、この八幡宮ということが重要であり、
坂本八幡宮で祭られる神は「応神天皇」であり「八幡菩薩」である。

八幡宮は日本で一番多い神社なので日本古来の神様を祭ってあると思いがちですが
八幡菩薩は『古事記』・『日本書紀』・『続日本紀』には出てきません。
実は、日本古来の神では無く、突如として3世紀頃に出現した神です。
あまり知られていないことですが、
日本の神社も古来から存在する訳では無く、実は3~4世紀頃に秦氏という豪族によって全国に作られたのです。

新入りの神ながら、
八幡菩薩は応神天皇の神霊とされたことから皇祖神として位置づけられ、
『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されており、
天照皇大神に次ぐ皇室の守護神とされています。

なぜ、途中から出現した神が天照神と等しくなったのかというと、
10支族の末裔である応神天皇(八幡菩薩)が天皇家の祖となったからである。

天皇家は神武天皇から万世一系と言われていますが、
実は、応神天皇が確実な初代であって応神天皇以前は良く判らないのが本当である。

そもそも「八幡神」は「ヤハタノカミ」と呼ばれるが、秦氏すべての氏神だと言われる。
また、八坂神社の(ヤサカ)を弥栄(イヤサカ)と云うように、八幡は弥栄でもあります。

実は「ヤハタの神」は「ヤハウエの神」で「ユダヤの神」であります。
その「ヤハタの神」「ヤハウエ」を祭ると非常に災難や災害が多発しました。

あまりの不運に己の不徳を悩んだ八幡神が仏教に帰依し出家して「八幡菩薩」になったら
急に運が良くなったのです。それが「八幡大菩薩」です。
ここは非常に重要な点です。
ヤハウエが仏教に帰依して出家したのが八幡大菩薩ということです。

又、旧約→新約とも読みとれますので、これは八幡大菩薩がイエスと等しいという意味でもあります。


ということで令和は、初めて天皇家が10支族の末裔であり、「ユダヤ神」=「日本神道」を公にした時代ということになろうかと思います。
そしてこれは霊的な意味で真の日本新時代であろうかと思います。

応神天皇を祭る郡上八幡が改元の日に特別に徹夜踊りをしたのも
このような特別な意味があるからであります。

以前にユダヤ神は龍体であると書きましたが、
令和のRは龍を示しており、龍和でもあります。
龍は水を示しますが、新天皇が水を研究されているのも偶然では無く、
令和の時代は、水の時代・龍の時代であり、日本は龍の時代を生きることになります。

どんな時代になるかというと

日本復興の機運が高まり、平成のように弱い時代では無く、
力強い時代となるでしょう。摩擦や戦争の危機もあるでしょう。
しかしながら、梅の花のように、凛として美しい落ち着いた時代になるでしょう。
八幡菩薩は仏教と神道の習合ですからかなり強い神様です。
因みに、元寇の時に神風を吹かせたのは八幡大菩薩だと日蓮は言ってます。

神道の神様では力が弱いです。仏教のみの菩薩では発展性が弱いです。
神仏習合された習合神は、非常に強いです。
徳川家康の霊的指導者であった天海が予言したこの原理をけっして日本人は忘れてはいけません。

豊臣秀吉は吉田神道の流れから死後、
「豊国大明神」で神道の神として祭られましたが子孫が滅びました。
徳川家康も死後、「明神」として祭られる流れだったのですが、
山王一実神道を信仰する天海の「明神は不吉である」の理由により
「東照大権現」として神仏習合神として祭られました。
その結果、徳川家は末代まで栄えているのです。

この事実から、神道は弱く、神仏習合が強いということが判ります。
天皇家も「八幡大菩薩」は神仏習合神ですので強いのですが、
「天照大神」は神道の神なので弱いのですよ。

その証拠に第二次大戦前は国粋主義が広がり、
廃仏毀釈で仏教を排除し、「天照大神」で戦ったから負けたのです。
元寇の前にも廃仏毀釈が行われました。
国難の前には必ず、国粋主義が広がり、廃仏毀釈が行われるのです。


しかしながら、
令和時代が平和で子孫が住みやすい時代になることを心から祈念します。
弥栄ハレルヤの令和でありますように。

参照:ヤハウェの正体
    神道と日本発展

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