ヤハウェの正体

今回の話は、暴論ですが、私的には正論の話であります。


神道とユダヤ教は非常に似ています。

特に、ユダヤ教と修験山岳神道に多く類似点が見られ、
例えば、修行者の姿は、黒い小箱を額に結びつけホラ貝で音を出し、代々虎の巻という秘密の書を伝える。
これに対し、ユダヤ教の修行者は、黒い小箱を額に結びつけ、羊の角笛で音を出し、
代々トーラーという神の智慧の書を伝える。
このような類似性は、世界中のどの民族、宗教にも見られず、
ただ、ユダヤ教徒と日本の山伏との間にのみ存在する。

古代ヘブライのレビ族は、
まさしく神道の神官や修験道の山伏のような姿をしていたのであって、
この事実を単なる偶然と考えるほうが不自然である。

シルクロードから日本に入った文化は多いので、
当然ながら古代ヘブライ文化が日本に入っても不思議ではありません。
しかしながら、極東の日本にヘブライ人の習慣が、世界のどの地域よりも強く残っているのは、
非常に不可思議な事実であります。

どのような経路で入ったのかは色々な仮説がありますが、
重要なことは、私達が信仰している神道は、
弥生時代にユダヤ教が日本に入ってきて作られた日本神道であるということです。
つまり、私達の日本神道はユダヤ教なのです。

信じられない話だと思われるでしょうが、
参考に古代のヘブライ文化が日本神道から日本文化にまで浸透している事例を羅列しましょう。



神道とユダヤ教の類似

出展:ウイキペディア 日ユ同祖論


1)皇室神祇

① 大化の改新の後、神道の皇室儀式の制度化は進められた。
神祇令においては、大嘗祭・新嘗祭の他、大祓の儀等が定められていた。大祓の儀は6月30日と12月31日とさ れており、ユダヤ教の区切りと一致している。
新嘗祭や大嘗祭は収穫を捧げる儀式であり、特に大嘗祭では仮庵を建てる。ユダヤ教で収穫を捧げて祝う祭 りは仮庵の祭といわれ、エジプトを出て仮庵に住んだことを代々伝えるため、仮庵を建てて行わなければなら ないとされる(レビ記23:23~)。

②大祓の祝詞では、天つ罪と国つ罪に分けていくつかの禁止事項が列挙されているが、
二種類の種を播く罪(レビ記19:19)、
近親相姦(レビ記18:6~)、
人体を傷つける罪(レビ記19:28)、
呪術(申命記18:11)、
こぶのある者(レビ記21:20)など旧約聖書の禁止事項と完全に一致している。

 
3)八咫鏡

八咫鏡において以下の噂が流符している。

鏡の裏の模様がヘブル語であるということがわかり、
皇室の依頼によって学者が解読すると旧約聖書の出埃及(『出エジプト記』)3章14節「我は有て在(あ)る者なり」と刻まれていた。
これに関し1953年(昭和28年)1月25日に「在日ユダヤ民会」のミハイル・コーガン宅で行われた日猶懇話会例会でホーリネス教会の尾崎喬一牧師に尋ねられた三笠宮は、昭和天皇も自分(三笠宮)も鏡を見たことがない、いずれ調査するだろうと答えられた。

4)獅子と一角獣

天皇家や神道において獅子と一角獣は重要な意味を持つ。
獅子はユダ族の紋章であり、一角獣は北イスラエル王国の王族であるヨセフ族の紋章である。
京都御所(清涼殿)には天皇家の紋章として、獅子(ライオン)と一角獣(ユニコーン)の紋章があったとされており、天皇の王冠には一角獣が描かれているとされている。

現在でも京都御所清涼殿昼御座奥の御帳台(天皇の椅子)の前左右には、頭頂に長い一角を持つ狛犬と角のないものが置かれている。
天皇の即位に用いられる高御座の台座にも獅子と一角獣(麒麟)と思われる絵が描かれている。

狛犬について、「平安時代には…清涼殿の御帳前や…獅子と狛犬が置かれ、口を開いたのを獅子として左に置き、口を閉じ頭に一角を持つものを狛犬として右に置いた」とあり、これは古代イスラエル神殿(ソロモン神殿)の王座の横の二匹の獅子(I列王記10:19)に由来するといわれる。


5)仁徳天皇陵

仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は、契約の箱に収められていたユダヤ三種の神器の一つであるマナの壷(pot of manna / jar of manna)を形取ったものではないかとも言われている。
論拠の一つに陵に壷の取っ手とおぼしき膨らみが認められる。
見方によっては鍵穴のようにも見えるが、向きを変えて見ると壷のような形にも見える。


6)神道の儀礼・様式

①日本もユダヤも、水や塩で身を清める禊の習慣がある。

②ユダヤ教では祭司はヒソプ(ヒソップのこと[15])という植物や初穂の束を揺り動かす。
  これに対して、神社の神官も同様に榊の枝でお祓いをする。

③ ユダヤのメズサ(護符)と日本のお守りは似ている。

④エルサレム神殿の門には、天皇家の16弁の菊花紋が刻み込 まれている。

⑤ユダヤの神殿と日本神社においても、入口から手水舎、拝殿、本殿 と並んでおり、構造が似ている。
 
⑥古代イスラエル神殿は木造建築であり、建築後に賽銭箱がある。

⑦ユダヤ神殿の内部とまったく同じ神社がある。

⑧ユダヤ神殿(幕屋)も神宮も定期的に移動させる。

⑨伊勢神宮の遷座伝承地(元伊勢)の1つが籠神社であり、
  この籠神社の現在82代目宮司を務める海部光彦は最近になって、
  それまで極秘であった“裏家紋”を公開した。
  石碑に刻み込まれたその裏家紋は、「ダビデ王の紋章」であった。

⑩ 諏訪大社では、「御頭祭」(おんとうさい)という、イサク奉献伝承に似た祭りが行われていた。

旧約聖書によると、アブラハムはモリヤの地(現在のエルサレム)の山(モリヤ山)で神から息子イサクを生贄として捧げるよう要求され、アブラハムが神への信仰からイサクをナイフで殺そうとしたところ天使から止められるという話がある。守屋山(モリヤ山)が御神体である諏訪大社においても、
少年を柱に結び付けて神官が小刀で切りつけようとすると使者が現れてこれを止めるという御頭祭が明治初めまで行われていたとの記述が守谷資料館に残されている。

⑪ 祇園祭りに登場する数多くの山車の中には、古代ヘブライで用いられた織様と同じ文様を付けたものが存在 している。

⑫生後30日目に赤ちゃんを神社(神殿)に初詣でさせる習慣は、日本とユダヤにしか見られないものである。

⑬正月にユダヤは種なしのパンを備え、日本は種なしのパンと似たモチを供える。

⑭ユダヤも日本も正月は7日間である。

⑮正月の期間だけ、ユダヤは種なしパンを食べ、日本は餅を食べる。

⑯ トリイ(鳥居)は、ヘブライ語アラム方言で門という意味であり、
神社のトリイも日本の鳥居も赤色である。

ユダヤ人の過越祭(ペサハ)は、モーセによる“エジプト脱出事件”(紀元前1290年)にルーツを持っているが、
同じく、日本の年越しや鳥居も、この大事件にルーツを持っていると考えられる。
モーセは、かたくなな心を持つエジプト国王ラムセス2世に、ヘブライ奴隷集団の脱出を認めさせるため、
一種の“魔術競争”をしたのであるが、エジプト脱出前日に“殺戮の天使”がエジプト全土に襲いかかって来た。その時、モーセは、ヘブライ人たちに神の災いに合わないように、
玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、
災いが静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した[17][要高次出典]のであるが、
これこそが赤い(朱塗りの)鳥居のルーツであり、年越しのルーツであるとされる。

⑰古代ユダヤの聖櫃(アーク)と日本の神輿(みこし)は、良く似ている。

ヘブライの秘宝、「契約の聖櫃(アーク)」は、現在に至るまで行方不明であるため、
「失われたアーク伝説」として、広く公式に知られている。
アーク(聖櫃)とはモーセが神から授かった「十戒石板」(モーセの十戒)を保管するための箱で、
全体に黄金が貼られており、『旧約聖書』の『出エジプト記』には、
そのアークの作り方が克明に記されているのだが、
その記載を見る限り、日本の神輿(みこし)にそっくりである。
アークの上部には2つのケルビムの像が羽を広げて向かいあっているが、
日本の神輿も金で覆われていて、神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる鳥が作られており、
大きく羽を広げている。アークの下部には2本の棒が貫通しており、
移動するときには、レビ族が肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして騒ぎ立てた。
しかも、かつぐための2本の棒は絶対に、アークから抜いてはならなかったように、
神輿の棒も抜かれることはない。
祭りが終わった後も、棒を差し込んだまま保管されているのである。
このように、日本の神輿と聖櫃(アーク)との類似性は高い。

⑱ ユダヤ人は現在でも13歳の男子に、成人を迎える儀式、“バル・ミツバ”を行なうことで有名だが、
 日本人も昔、13歳の男子に成人を迎える儀式、元服式を行なっていた。

⑲ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。
 日本人も神社を詣でる前には、必ず入り口で禊として手を洗う。

⑳ユダヤ人は日本人と同じように、まず体を洗ってから風呂に入る。ユダヤ人以外の西欧人はバスタブの中で  体を洗う。




さて、今回、私がなにを書きたいのかといいますと、
どのような経路でユダヤの習慣が日本に根付いたのかを検証するのではなくて、
まして日ユ同祖論でもありません。
私は「ヤハウェ」について語りたいのです。

ヤハウェとは、旧約聖書における唯一神であり
聖書の中でイエスが「主」と呼んだ神であります。

私が思うに、神道がユダヤ教を基に作製されたとするのならば、
神社の中に「ヤハウェ神社」が必ずある筈でありましょう。
つまり、日本神道の中にヤハウェは存在していて、
それは誰神様?ということであります。

この疑問を解くためには、「秦一族」について考えねばなりません。
日本の神社の創建に関わったのは、「秦一族」という帰化人の集団であります。
秦一族によって神社の形式は作られたのです。

その秦氏とは、景教徒よりも早く日本に渡来した古代東方キリスト教徒だといわれています。
景教とはネストリウス派キリスト教のことで、東方キリスト教の一派ですが、
中国に来たキリスト教徒はみな「景教徒」と呼ばれたので、
そのような意味で、秦氏も「景教徒」といわれるだけかも知れませんけどね。
私自身は、日本に権力の座を築いた秦一族は、
「除福」とともに日本に定着した帰化人と考えています。
そして昔の吉備の国(今の岡山県)に秦一族は数多くいたと言われています。
秦氏が京都の太秦につくった神社に、
「木島坐天照御魂神社」(俗名は蚕(かいこ)の社(やしろ))というのがあります。

この神社の祭神は、「天照大神」ではなく、
「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」ということになっている。
この神は、古事記によれば神々の中でも一番最初に現われ出た神とされ、
目に見えない最高神、また宇宙の根元の神とされています。
ちなみに古神道では、一般の神社で「天之御中主神」というような絶対神、最高神を祭ったりはしない。
それ以外の神で天照大神や大国主の神々を祭っています。

この神社には、現在の神道には無い不思議なものが多くあります。
たとえば、この神社には全国にも珍しい「三柱鳥居(みはしらとりい)」があります。
これは、二本柱の普通の鳥居とは違い、三本の柱からなる鳥居である。
しかも、ふつう鳥居といえば門として神社の入り口に立っていますが、
この三柱鳥居は、「池」の真ん中に立っているのであります。
池の中に神様が存在するということは、「水の神」であり、それは龍神であろうと思われます。

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さて、ここからは私の暴論であります。

以上の事象より、
「ヤハウェ」は「天之御中主神」であり、地球神として働く時は「龍神」と思われる。

キリスト教とユダヤ教では「ヤハウェ」と呼ばれ、イスラム教では「アラー」と呼ばれる最高神は、
同じ神ですが、本名を明かしていません。

ちなみに、ヤハウェは「YHVH」と顕され、神聖4文字(テトラグラマトン)と云われています。
なぜ「YHVH」なのかという議論は過去から多くされていることですが、
私は、この本名テトラグラマトンに秘密が隠されていると考えています。
結論をいいますと、
フェニキア文字の「YHVH」を組み合わせると、漢字の「龍」になるのです。
逆に言えば、龍を分解した因数が「ヤハウェ」だと考えられる。
これは私が発見したことでありますが、非常に興味深い偶然だと思われる。

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ヤハウェは根元無極の神霊であり本来の形は無いのです。
しかしながら、地上で働く時は龍体であるということです。
そして、龍体の「ヤハウェ」を「エホバ」と呼ぶのだと思います。


旧約聖書で、ヤハウェの性格が非常に多彩で多様であると言われていますが、
その理由は、「ヤハウェ」と同体である龍神「エホバ」の影響が大きいからであります。

エホバは雷や嵐の神であり、妬む神である。
これらをまとめると、雷・風神、祟り神、龍神(蛇)であり、
まさしく、日本の神である大物主(国常立命)の神とまったく同じである。

つまり、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)がヤハウェであり、
同一神と云われる国常立尊(くにとこたちのみこと)がエホバ(龍神)であるのと同じであります。
国常立尊は龍神ですが、天之御中主神の働きそのものなのです。

以上の考察のように、日本の神社の天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)がヤハウェであり、
同一神と云われる大物主・国常立尊(くにとこたちのみこと)がエホバであります。
これが「ヤハウェ」の正体であり、「天之御中主神」と「国常立尊」の正体とも言えるでしょう。

さて、この「国常立尊」ですが、
この神様は、天理教や金光教、大本教の主宰神と同じであり、
明治の新興宗教のほとんどが岡山から産まれたという事実があります。
一つの地域から、同じ時代に多くの新興宗教が産まれたというのは決して偶然ではありません。
岡山は吉備であり、ユダヤ教の土地である故に、
岡山発祥の日本の新興宗教の神様こそヤハウエであります。



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