写真日記(岐阜城)

画像
岐阜といえば?

とりあえず岐阜城でしょ!
ということで
会社の屋上から金華山を撮ってみた

なに?
見えない?

山しか見えない??

いちばん上の塊みたいな黒い物が岐阜城である。

岐阜城は織田信長が「この山は火の山なり。この山を制する者が天下を制する」と言って建てた城である。
もともとは、油売りから殿様にまで成り上った斉藤道三が立てた城であるが、道三亡き後
信長が攻め込んで奪ってしまった岐阜の名所である。
岐阜城にいたころの信長は破竹の勢いであったが、ここを出て安土城に移った頃から駄目になってきた。

ずっとここにいればよかったのに






早くも写真日記に限界を感じているエイジでした(汗)

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この記事へのコメント

お~すみ
2005年05月12日 10:01
その岐阜城なんですがね。
稲葉山城と呼ばれた頃からそこに住んだ城主はほとんどロクな死に方をしていないといわれています。
斎藤道三よりも前の城主土岐頼芸しかり、斎藤道三(息子義竜に殺される)しかり、義竜(急死)、その子竜興も越前で戦死。
織田信長が本能寺で自害、その子信忠も二条城で自害。弟信孝も柴田勝家に絡んで自害。
池田恒興、元助は長久手の合戦で戦死、秀吉の養子羽柴秀勝は朝鮮出兵時に病死。
織田秀信は関ヶ原で西軍について落城の憂き目にあい、高野山に蟄居の後病死。
ただ一人池田輝政だけがその後を全うしたという、ある意味呪われた城ですね。

奥平信昌が廃城にして加納城に移築したのは慧眼だったのかもしれません。
エイジ
2005年05月12日 12:29
ほー!!
こういうオカルトな話は私の研究分野なので
さっそく『呪われた岐阜城』とGOOGLE検索してみました
ヒットしませんでした
ちょっと私も調査します
2005年05月13日 00:04
面白~い!オカルトはニガテですが歴史小説は大好きなので
そのへん是非いろいろ書いて下さいまし
お~すみ
2005年05月13日 09:39
私はとある本を読んで、あーそういわれてみれば、歴代の城主ってロクな死に方してないなぁと納得したわけで。
どの本だったかちょっとしらべときますね。

あー、羽柴秀勝ですが、信長の四男と秀吉の親戚筋と二人いたんですが、岐阜城主になったのはおそらく後者ですね。
エイジ
2005年05月13日 23:13
こんな近くにネタがあったんだ!という訳ではないが
興味があるので
私も近いうちに金華山まで調査に行ってきます

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  • 写真日記(金華山の桜物語)

    Excerpt: 写真日記(岐阜城)でおーすみ君から指摘があったように、岐阜城は血塗られた城らしい。 思うところあって、早速、時間を作って金華山までいきました。 Weblog: BlueBloomBlog@WebryBlog racked: 2005-05-17 18:41