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zoom RSS 往生の極意

<<   作成日時 : 2011/12/25 16:21   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 35 / トラックバック 0 / コメント 10

今年一年を振り返ると、身近に「死」というものを考える機会が多かったです。

私自身憧れる生き方というのは、よく考えるのですが、
憧れる死に方については、あまり考えたことが無かったのです。

強いて言えば、西行のように、
「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」
という有名な歌を詠み、そしてその通りに死ねればカッコいいなとは思っていました。


実は我が家系は、寝たきりの家系でして、
祖父や祖母も病床に臥している期間が長かったのです。
祖母に関して言えば、脳溢血で半身不随になって10年以上は生きてました。
病身で生きるというのは、本人も家族も大変であります。
つまりカッコいい死に方が出来る家系ではない。

それで私は死というのは、基本的に「なかなか思い通りに自然には死ねない」
というように思っているのですが、
最近 宗教学者の山折哲雄の「往生の極意」という本を読んで一種の衝撃を受けたので
今回はそれを書こうと思う。




山折哲雄によれば、安楽死には二つの方法があるという。

それは「モルヒネ安楽死」と「断食安楽死」である。

今日、よく癌患者の末期にモルヒネで苦痛を緩和しつつ医師が患者を死なせる、
操作医療的な安楽死の是非についてはよく論議される話題であるが、
断食安楽死についてはほとんど話題にのぼることがない。

しかしながら、実は昔の高僧は「断食安楽死」を実行したらしい。
山折哲雄は、空海や西行は断食安楽死をしたというのです。

山折哲雄の『往生の極意』には、
幾人かの偉人の死に様が描かれている。
この中で特に興味深いのが、西行が「断食往生死」を遂げたという著述である。

我が岐阜県の谷汲山の「横蔵寺」には、断食して即身成仏したミイラが御本尊のお寺があり、
小学生の頃に見に行った記憶がある。
その時は、断食往生死=即身成仏だと思っていましたが、
普通に考えてみれば、これは一種の自殺ではないか?
なのになぜ空海や高僧の断食は自殺に為らずに即身成仏になるのか?


以下に山折氏の原文を抜粋転載しましょう。



西行の断食と自死

西行は比叡山で断食往生死をとげた聖たちとほぼ同時代を生きた人です。
往生死の伝統は西行以前から続いていましたし、中国やインドではさらに古くさかのぼれます。
パキスタンのラホールの美術館にある苦行釈迦の像は世界的に有名ですが、
あれは釈迦が山に入って断食をし、死を直前にして悟りをひらいて山からおりてくるという物語があって、「出山の釈迦」と呼ばれています。そうした知恵や知識を西行が知らなかったはずはない。

西行の最期については、昔から褒め称える人が尽きない。
「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」の歌の通りに死んだ見事な往生をとげたと評価されています。
慈円、俊成、定家など、有名どころが褒め称える言葉を書き残している。

西行の往生を断食往生、宗教的自殺であるという視点からみる人はいません。
しかしながら私は、西行は断食往生を見事に果たしたのだと考えています。

西行は日常的に足腰を鍛え、食のコントロールは、旅する人にとって健康を保つうえで最上の方法なので、
一日断食二日断食をやって食のコントロールをしていたはずである。
その結果、食のコントロールによって、身体がどう変化するのかを熟知するようになる。
やがて晩年を迎えて、比叡山の聖たちと同じアプローチを共有していったのだと思います。
食を断って、自然死のごとく息絶える、それが指針だった。

あらかじめ彼は東河内の弘川寺を最期の場所と決めています。
弘川寺の裏に庵をつくり、桜を植えている。
亡くなる前の年の秋に、もうあまり長くないと知ってそのお寺に行き、庵の生活を始めます。
翌年の正月くらいから五穀断ち、十穀断ち。如月の月に入り、月が大きくなって完全断食に入る。

それで一日、二日の誤差をどう調整するのか、これは水で調整できるはずです。
調整できるくらいの技術はすでに身につけていたでしょう。
旧暦2月15日は満月、その日はお釈迦さんが亡くなった「涅槃の日」とされています。
その日の翌日16日に西行は静かに息を引き取ったのです。




まさに桜の花の咲く頃の満月の夜に死んだのです。

同時代の人々は賛嘆と感動の声を上げた。なぜなら、予告通りに素晴らしい最期を迎えた人という評価である。
なぜ、これを自殺と言わず、崇高な死というのか?





さて、この問題を考える上で、
西行の死に方を真似た人の話をしましょう。

ミステリー作家・木谷恭介は自ら人生を終わらせるために断食の準備を開始した。

5日間の減食期間を置いて、本格的に完全絶食の開始。2月15日の体重、50kg。
このときの断食は、あの東日本大震災の3月11日を挟んで38日間続いたのですが
結局失敗しました。
この記録は『死にたい老人』という本になっています。

彼は死ぬ動機を以下のように書いている。


ぼくは50代〜70代にかけて、バリバリ仕事をした。人生を楽しんだ。思いのこすことなく。
そして、現在83歳。人生の最晩年にはいっている。
90歳まで生きたとしたら、息子夫婦にどれだけ迷惑をかけることになるか。
それらを勘案して、『死』へ向かっての断食をおこなっている。
つまり、人生にピリオドをうつための『断食』。
命を放棄しても、他人に迷惑をかけないため。


つまり、彼は老いて身内に迷惑をかけたくないので、
断食死という高僧の自然死(しかも安楽死)を実行した訳であるが、
彼は実に三回にも及ぶ断食死を失敗している訳であります。

なぜ木谷恭介は死ねなかったかというと、
死ぬ時期ではなかったからであります。

つまり、
断食では自然死(自殺)出来ないのではなかろうか?

自ら死期を悟って衰弱してからしかたぶん死ねないのではないかと思う。

よく食べずに死んだ人がいますが、よほど衰弱状態でないと餓死は出来ません。
おそらく食を断って死んだ人は、死期が迫って衰弱していたから死ねたのです。

つまり、西行や空海の行った断食死とは、
衰弱した我が身の死に方をコントロールする作法であったと思うのです。
だから単なる自殺と考えられないのであろう。



山折哲雄は次のように書いています。




普遍宗教のカリスマたちや賢者たちは、誰もがスリムな身体の持ち主として伝えられていますが、
肥満体のカリスマや賢者がそもそも存在しないということの意味をよく味わうべきだと思います。

断食の過程というものは、行の意味をはずすと自分の身体を食べて生きることにそのままつながります。

自分自身を栄養にしている。

まさに人類太古の人々が飢餓に直面したときに、
カニバリズムを拒んだ選択につながっているわけです。

そういうことを知悉したうえで、「どうせ死ぬのなら桜の花の下で」となる。

如月の望月のころに臨終を迎えるために、西行はどうやって身体のコントロールをしたのか。
長年の修練で身につけた技術を駆使して計算し尽したんだと思います。

西行の断食死は人間の自殺の最高形態とはいいにくいのだけれども、
自然死であるかのごとくなしとげたということからして、崇高な自殺だったといっていいのではないでしょうか。



実に名文である。

やはり、西行の死に方はカッコいいと私は思う。


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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
エイジさんは、命の限りお元気で
しっかりと生きて。

スカッとカッコよく旅立たれますよ。
私はそう確信してます。^^


ららあ
2011/12/28 00:36
昨日、祖母の初七日終りまして
ちょうど記事とリンクして
驚きました

人はそれぞれ時期を選んで
この世を去っていく
単純にそう思いました



yum
2011/12/30 10:17
願わくば西行の如く計算し尽して死にたい、しかし現代では過剰栄養のような身体を持ってして高齢まで充分働けてしまうので気が付いた時は認知症、そんな人生になるのではないか、と私は危惧しました。
そこで、自分で死を考えることも選ぶことも出来ない時を迎えないように、即ち認知症にならないように努力するのが最低限必須かとーーー
maruyama
2012/01/01 22:42
エイジさん、明けましておめでとうございます♪
去年はエイジさんのブログに出合うことができ、私にとってとてもラッキーでした。
エイジさんの言葉に励まされつつ、頑張っていけたと思います。
今年もよろしくお願いします。いっぱい勉強させていただきます。

前世があって生まれてくるのも自分で選んでいるなら、この世を去るときも結局は
去るべき時に去るってことなのでしょうか?
せいぜい「苦しまずにぽっくり逝きたい」とか、「他人に迷惑
かけずに逝きたい」くらいしか考えたことなかったですが(^^;)
手塚治虫の火の鳥の中に、八百比丘尼の話があって、
「死にたくても死ねず、ずっと生き続けるのも苦しいものだ。」
と思ったものでした。
ただ、どんな死に方であっても、自分なりに一生懸命生きたと
思いたいものです。(そう思える人は、自殺はしないか?)


花ジェリー
2012/01/02 00:30
あけましておめでとうございます。
そいいきたいものであります。>ららあさん。

あけましておめでとうございます。
生き方も死に方は様々ですね。>yumさん。

あけましておめでとうございます。
確かに現代は認知症のほうが深刻ですねw
西行の時代には認知症はないですからね>maruyamaさん。

あけましておめでとうございます。
死ぬ時まで一生懸命に生きるべきだと思います。
そして一生懸命生きた証として安らかな死であって欲しいと願います。>花ジェリーさん
エイジ
2012/01/02 11:19
エイジさん、あけましておめでとうございます。
遅くなりました。実はしばらく家を離れておりまして。

実は私は甲田先生(西式甲田療法)の先生が同じような
なくなり方と聞いて、自分もそうしたいと思っておりましたが、
そう簡単にはいかないのですね。
きちんと修業があってこそ、と学び、
それも含めてやっていくべきだとわかりました。
ありがとうございました。

今年もよろしくお願いいたします!
カコ
2012/01/10 22:04
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。
断食で死ぬのは難しいゆえに
高度な死に方の作法とも言えましょう。>カコさん
エイジ
2012/01/14 00:53
エイジさん 最近よく読ませていただいています
カコさんの記事にもありましたが、僕に知人が甲田先生の一番弟子です
自死の年の正月に、直弟子を集めて、「これからは・・していきなさい」と一人一人にコメントされたそうです。そんなことは今までなかったので「なんで今年に限って・・?」と不思議に思われたそうですが、それから奥様以外は人知れず、不食に入っていかれたそうです。
立派な最期だったそうです。
ところで、私は玄米小食をしていたこともありますが、断食、小食での修業状態は思いもつかないことがあります。人間の(文明が発達しすぎた現代では)潜在的になっている能力の一部を垣間見る思いです。
僕は末期ガンをしましたが、エイジさん良かったら沸かしの体験談を読んで感想をお聞かせくださったらうれしいです。ガンをして人生を考てみていると、何事も厚かましくなってすみません(^^)買ってんことを書いてしましました。これからもよろしくお願いします。
http://ameblo.jp/19971716/
はるちゃん
2012/02/13 12:57
判りました。読ませて頂きます。
こちらこそ。よろしくお願いします。>はるちゃん
エイジ
2012/02/16 22:16
断食死は自殺ではない。崇高な儀式だ。
庸乗
2012/06/08 01:51

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