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zoom RSS 希望とは何か。

<<   作成日時 : 2009/10/11 01:48   >>

ナイス ブログ気持玉 34 / トラックバック 0 / コメント 16

僕の従兄弟の娘は、中学生なんですけど、
夏休みの宿題で書いた読書感想文が、
なんとか知事賞とか一番の賞を受賞したと連絡があった。
というのは、
その感想文は、僕が教えながら書いたのです。w
いわゆる。
「ありがとうね。」という意味の連絡なのだ。

別に自慢したいわけではなくて、
実は僕は読書感想文で賞を取る方法を知ってるのです。

中学生の頃に、
賞を取った子供の感想文には、同じ特徴があることに気づいた訳なんですけどね。
つまり、「賞を取れる読書感想文の書き方」を自分で会得してから、
書く度に賞を頂いて来ました。
ローカルな賞ばかりですけどね。
だから従兄弟達は、僕が非常に感想文を書くのが上手いと思っているらしく、
こうやって宿題の相談をされたりするのである。

「読書感想文の書き方」のコツを聞きたいですか?

それは何かというとね。
読書感想文って、あらすじになったり、
評論になりがちなんですけど。
それでは決して入賞しません。
正しい日本語や文脈の法則もあまり関係ないです。
問題は文章ではない。
大事なのは内容なんですけどね。

その大事な内容というのは、読書感想文は、自分の生活や経験、
家族のエピソードとか部活の思い出とか、友人関係とか。
いわゆる、自分の事と絡めながら書くことが重要なんです。

特に、非常に稀少な経験がある場合は、
非常に良い感想文が書けます。
例えば、お婆ちゃんが半身不随で自宅で介護してるとか。
自分の耳が難聴で聞こえないとか、
自分がイジメで登校拒否の経験ありとか、
お母さんが再婚した相手から暴力を受けたとか、
そういう個人的な、特に不遇なのがベストなんですけど、
己の人生と書物の内容と関連して絡めることが重要なのです。

例えば、ヘミングウェイの「老人と海」の読書感想文を書くとしましょう。
老人の生き様に対する感想を書くのが基本なんですけど、
文芸評論家みたいに表現や文章の感想を書くのではなくて、
老人を自分の家の認知症のおじいちゃんと絡ませたり、
カジキをジャイアンみたいな兄弟と絡ませたりしながら、
読書を通じて、自分の「身の上話」を論じていくのが大事なんです。

ですから、
小林秀雄みたいに、
「私が思うに、主人公の彼の目指すものは名誉でもなく、もちろん女にモテたい訳でもなく・・」
といった抽象的および一般論的な評論ではダメです。
必ず、私小説にしなくちゃダメなんす。

ということで、
中学生や小学生のお子さまのいらっしゃる方は是非参考にして下さい。

さて、
そういう訳で、夏休みに、
久しぶりに中学生の国語の教科書を読む機会があったのです。
そして、
教科書の中に、
魯迅の「故郷」に対する問題があったのです。

知ってますか?
魯迅。
じつは、僕は読んだことが無くてね。
はじめて読んだんですけど。

「故郷」は、魯迅の代表作ともいえる短編小説で、
ノーベル文学賞級の名作らしいです。

そんな名作なんですけど、
驚くことに、
長さが国語教科書の5ページ分しかないんですよ。
しかも、
内容といえば、
魯迅本人の経験がもととなっている当時の中国の絶望的な人間の没落および貧乏ぶりである。

で、
問題というのは、
「魯迅はどうして故郷という題名にしたのか?」という問いなのです。

そんな問題ありなのか?
答は読者の解釈によっていっぱいあるんじゃないのか?
と考える人は国語が理解できていないそうで、
国語の教師によれば、
国語の問題というのは、解答はひとつしかない。
つまり、考え方や読み方で答がいくつもあるように感じるが、
実は明確にひとつしかないそうです。

僕は感想文のコツはちょっとばかり知ってるかもしれないけれども
どうやら国語が理解できてないようで
さっぱり答が判らなかった訳なんだけど。w

数学と同じなんだな〜
と思いながら故郷を読んでると、

「故郷」の最期に
魯迅が書いた文章に目がとまったのです。

「希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。
これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。」 

この最期の文章は「格言」として、案外有名だと思うが、
魯迅の言葉だったとは知らなかった。

そして、
故郷を全部読んで、最期にこの文章を読むと、
どうやら僕の解釈が大きく違っていたことに気づいたのです。

というのは、
僕は、この文章を
高村光太郎の「僕の前に道は無い。僕の後に道は出来る。」みたいな
つまり、トップランナーの意気込み!と思っていたのですが
どうやら微妙に違ってるのですよ。

この文章は「意気込み」じゃなくて
「希望論」なんですよね。

そして、
魯迅の論ずる希望とはなんぞ?というと、
「夜道を走る自転車」だと思うのです。

真夜中に10km先の彼女の家に自転車で遊びに行くとしましょう。
真っ暗っすよ。
前が見えない。道が見えない。
どうします?

絶対に彼女に会うんだ!と気持ちを込めて
ペダルを漕ぎだすべきでしょ?
するとライトがつきますよね。
少なくとも3m先は見える訳です。

もしも、遙かに遠い彼女の家までの道のりにおじけづいたり、
諦めたりして、ペダルを踏み込まないと
ライトは消えて真っ暗になってしまいますよね。
そこには絶望と失望しかないのです。
途上で途方に暮れる。

勇気を持ってペダルを踏み込み続ければ、
3メートル先を見ながら進めば、いつか必ず10km先の彼女の家に到達できると
魯迅はいう訳です。

そして、
たとえ良い結果が到底想像できないような絶望的な状況であったとしても、
理想に向かって前に進まねばならない。
そして、理想に向かって進むのだ。という意志を持って
ペダルを踏むことこそ、「希望」ということではないのか?
と言ってるのです。

そして、この考えに及んだとき、
僕は魯迅の辛抱強さと私心の無い無垢の愛国心に感動したのだ。
そして、魯迅のような人物がひとりだけでも良いのです。
国のどこかに存在する国家は、けっして滅びない国家だと思うのです。

実際に、暗黒時代の中国に魯迅のような人物がいたから
現在の中国があるのだと、僕は確信するのです。

過去の日本において
魯迅に並ぶ人物を捜せば、
吉田松蔭とか西郷隆盛など、多く挙げられるでしょう。

しかしながら、
今の日本に魯迅はいるでしょうか?
そして、今こそ日本に魯迅が必要なんだと思うのです。
ひとりの魯迅が日本に存在すれば、
必ず、日本の未来は明るいものになるでしょう。

といった具合に、
中学生の宿題を手伝った故に
魯迅の希望論に出会えた訳であるが、
書物というのは、100年前の魯迅と実際に会話したような感覚を与えてくれるものである。
そして、肝心な事は、
なぜ魯迅が「故郷」という題名を付けたか?
今、おぼろげながら判ったような気がすることである。



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コメント(16件)

内 容 ニックネーム/日時
この秋空の下
気分がスキッとする感じです。
ありがとうございます。
カラス
2009/10/11 12:01
素晴らしい解釈だと思います。
故郷の解釈本は多く出ていますが、このような解釈は初めて読みました。
じつに魯迅の希望を判りやすく書かれており、冗談でなく、教科書に載せたい程です。
ご存じのように魯迅は中国で初めて国葬された作家でありますが、一介の作家がなぜあれほどまでに中国で尊敬されたのか、私には理解出来ませんでしたが、貴兄の記事を読み、はじめて魯迅の大きさを実感しました。
通りすがりの国語教師
2009/10/11 13:53
『―空腹を抱えて、泥まみれになって、もう五十キロ行ったら何か希望があるようなふりをしてね。このふりが一番辛い。どうにもならないことは僕自身がよく知っている訳ですから。だから僕が士官に求める勇気とは忍耐の別名です。勇気を持て、とは、もう半日、せめて二時間、持ち堪えてくれ、という意味で、無闇と切り込んで果ててくれと言う意味じゃない』
昔読んだ小説にこんな一説がありました。(内容や台詞の意図は故郷と全くベクトルが違いますが…)
もし暗闇に放り出されて、そこには彼女の家(理想や希望)さえもなくても、とにかく「希望があるふり」をしたらいいのかな、と。自暴自棄にならずに。辛くても。
kate
2009/10/11 20:51
エイジさん、こんばんは〜。

「彼女を思う心があればこそ、普通の自転車のライトよりも、そのライトは明るく道を照らしたに違いない」、、、、というのも実はポイント高いんですよ。小学校ぐらいなら、先生受けはいいはずなのです。

絵画も書道も、作文も、小学校、中学校までは、賞をもらっていたなあ、そういえば。。。。でも、、、、全国レベルまで行くようなものはできなかったから、器用貧乏だったのですね、私。現在生活するうえでは、そのような技術がそこそこ役立つこともあるので、まあ良しとしましょう。
エイジさんは、そのころから、書き物への分析が確かだったのですね!
カコ
2009/10/11 20:53
それでですね、魯迅の希望論という解釈について。
読んだことがなかったのですが、、、、
エイジさんが解釈してくれた中から感じるのは、、、、
魯迅は、希望を捨てない人だったのではないか、と。。。。。
楽観的ではなく、現実的な人ですが、でも絶望しない強靭な心。
英雄ではなく、政治家に向いているのかもしれませんね。
カコ
2009/10/11 21:02
秋の空のように爽やかに生きたいもんですね。>かなさん。

おはようございます。
魯迅は医師を志して日本に留学していますが、
その理由の一つとして、幼少の頃、父親の病気のために質屋と薬屋にほとんど毎日通いました。ところが、医師の処方がいいかげんなもので「つがいのままのコウロギ」や「三年霜にあたった甘藷」、「冬の蘆の根」などが必要だというのです。手に入りにくいものばかりでも魯迅は一生懸命探しました。しかし父親の病気はだんだん重くなり、ついに死んでしまいます。
「今でも中国では私と私の父、そしてあの医者のように、無知のために騙し騙され苦しんでいる人がいる」とういうことで医師を志したそうです。
純粋な理想主義者なんですよね。>国語教師さん。
エイジ
2009/10/12 14:43
つまり、
希望を決してすてない情熱が必要なんですよ。
魯迅の情熱はすざましく、病になっても迫害されても書き続けました。
そして西欧の医師をして
「ヨーロッパ人なら5年前に死んでる。」状態で生きていたそうです。
人間に大事なのは情熱なんですよ。きっと。>kateさん。

カコさん。おはようございます。
魯迅はその死後、少し神格化された部分もあったようですが、彼は神格化をもっとも嫌った人物であったと思います。
作品の中で、儒教つまり孔子が中国にもたらした害を鋭く批判していますが、孔子の言葉自体を非難している訳ではありません。
彼は、儒教を支配のための道具にしてきた人々を非難していたのです。
魯迅にとって、盲信は無知につながり、無知は直接的に不幸の蔓延と、人の死につながるものなのです。魯迅は、そのことに警鐘を鳴らしつづけたのではないでしょうか。>カコさん。
エイジ
2009/10/12 14:50
魯迅の故郷を読み返しました。KREBAの“暗闇のナビゲイラ”という曲ににているなぁ、と感じました。“見えなくても感じてる、進め、ならば気にならない”っていう歌詞があるのですがそんな前向きさを感じました。
エイジさんみたいな人が親戚って、うらやましいな。
NORI
2009/10/13 22:16
↑KREVE、良いですよね。
The show 聴くとテンション上がります。君に、胸キュン。は、ぶほっ、となりました…。

子供の頃、某ロータリークラブ主催の作文コンクール授賞式の前日、今はなき祖父が壇上での作法を特訓。(戦中派は姿勢からして違う…)
そして、賞品にさすがロータリークラブ!と感動しました。
書いた作文の内容は忘れても、そういう思い出は忘れないんですよね…。
kate
2009/10/14 09:05
KREVAでした…('・ω・`)
kate
2009/10/14 09:10
kateさんのブログ読んでみたいけど、どこにありますか?
NORI
2009/10/15 12:39
そういえば‘Passion’の原義は「キリストの十字架の苦しみ」でしたね。
この世での最大の恥辱と苦しみ、絶望を体験し、理解し、復活を遂げ、人々を励ます希望となる…。


NORIさんへ
Blog拝見しました!すごくセンスが良くて素敵です!!

私はBlog書いてないんですよ。コメントも滅多に書き込まなかったんです。
知らない管理人さんのところに書き込むのは勇気いりますよね。

でも、その滅多にない機会で出会った他サイトの管理人さんの結婚式に呼んで頂いたり、企画を考えたり、ネットを通じてとても良いご縁を頂きました。
ちょっと体力的・集中力的にも辛くなってきた時だったんで企画は実現出来なかったんですけど(情熱が足りない?)、また余力が出てきたら何かできたらいいなぁ…、と思ってます。
横レス失礼しました!
kate
2009/10/16 10:47
そうなんですか。エイジさんの素敵なブログにはやはり素敵な方が訪れているということで締めます(笑)
NORI
2009/10/16 15:53
なるほど。
確かに魯迅ってヒップホップぽいですよ。
確かに(笑)
味付けが変わって面白いです。>NORIさん。

おー。
Passionの原義は「キリストの十字架の苦しみ」なんですね。
なにやらインスピレーションが沸きますね。
十字架について書きたい記事もあるんですけど、
自分の頭がまとまらないんです。>kateさん。

確かに素敵な方ばかりで
BLOGはやめられませんね。w
僕にとってBLOGは癒しの空間です。>NORIさん。
エイジ
2009/10/16 18:20
エイジさんのブログには
珠玉のようなイイ話はたくさんありますけど

この魯迅の故郷について書いた記事が
一番キラキラと輝いていて素敵です。

これを読んで希望をもとうと
励まされた人が少なからず居るんじゃないかな。

エイジさん
これからも人に勇気や希望を与える話を書いて下さいね。

私も誰かにほんの少しでもいいから希望を与える人になりたいです。
ららあ
2011/11/09 18:39
僕も久しぶりに自分の書いた記事を読んで
感動しましたw>ららあさん。
エイジ
2011/11/09 21:32

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