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<<   作成日時 : 2009/01/17 13:45   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 26 / トラックバック 1 / コメント 20

どういう訳か。
僕は仏教に関しては、人の話を聞いたり、解説本を読むことは好きじゃなくてね。
必ず、「教えの書」であるお経本を自分で読んで解釈するのが好きなんですよ。
サンスクリット語じゃなくて、もちろん漢文のお経ですけどね。

数多くのお経がある中で、
法華経と、般若心経は、仏教だけでなく神道や陰陽道でも読まれるお経である。
この二つのお経は宗派関係のない特別なお経と言っても良いでしょうね。

私の実家は禅宗なので、「法華経」と「般若心経」は幼い時より
よく耳にしたお経なんですけど、
私の感覚ではね。
なぜ、この法華経や般若心経が古代より数あるお経の中でも特別視されるかというと、
このお経の持つ内容が仏教の真理であって深淵であるということではなく、
まして「南無妙法蓮華経」とか
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」とか
唱えると有り難いという理由でもなく、
それは、おそらく、
法華経も般若心経も他の経には見られない程「詩的」であって
しかも声を出して読むと、
音楽のようなリズムを生じ、虚空に花が咲くような、
そんな美しさを秘めているのが大きな要因であると思うのです。
観音経なんて特に、どんどん舞い上がってゆくような感動的な旋律だと思いますよ。

そして、この二つの経と、もうひとつ日本人にもっとも影響を与えたと考えられる浄土教のお経、「阿弥陀経」は、実は、同じ人物、ただ一人の僧によって翻訳されました。

その僧こそ、鳩摩羅什(クマーラ・ジーヴァ)である。
今回は、鳩摩羅什についてお話をしたい。

なに?
鳩摩羅什を知らない?
まぁ、ここは知らなくても教養講座つーことで読みなはれ。
ちょっと長いけど。


仏教の翻訳者といいますと、やはり有名なのが玄奘三蔵でしょうね。
玄奘は、西遊記にも出てくる程です。
玄奘も「般若心経」を翻訳しましたが、
その玄奘が肌身離さず持っていた「般若心経」は、鳩摩羅什の翻訳した「般若心経」であります。
ですから、般若心経は羅什の翻訳が大本になっているのは事実のようです。

鳩摩羅什の漢訳したお経は、孫悟空に出てくる有名な玄奘三蔵よりも
遙かに芸術的であると評価されていますが、なぜ「鳩摩羅什最高!」とならないかと言いますと、鳩摩羅什の訳は「原文を忠実に訳していない。」
という評価もされているからであります。
事実、法華経なんて、原文はまったく詩的では有りません。
鳩摩羅什にしか法華経は、命が与えられなかったと私は思います。
もしも、鳩摩羅什が居なかったら、恐らく、日本で「日蓮宗」や「浄土宗」「禅宗」などの大乗仏教が広がらなかっただけでなく、仏教が世界で三大宗教のひとつになることもなかったと私は思う。

なぜなら、「教典は詩的でなくては信者が増えない。」からであります。

イスラム教のコーランもキリスト教の聖書も非常に美しい旋律を持っています。
特にコーランの旋律は素晴らしい。
聞いているだけでヒーリング音楽ですよ。意味は判らんけど(汗)
仏教も本来は音楽的ですが、それを忠実に翻訳出来たのは鳩摩羅什のみであります。


ところで、
「南無妙法蓮華経」の語句の中に
「師子吼」という文字が、封印されているという話を最近知ったんですけどね。
つまり、鳩摩羅什は、竺法の翻訳した『正法華経』から「正」を取り、「妙」と「蓮」
を挿入して、『妙法蓮華経』と改題したのであるが
それは、「師子吼」の意味を隠し備え持つ「法華経」を作る為にそうしたのだ。という説である。
即ち、「南無妙法蓮華経」と唱えれば「獅子が吼える蓮華経」という風にも聞こえるという説です。
これは非常に突飛な説ではあるけれども
羅什の芸術性の片鱗を示す話だと思うのですよ。


そんな鳩摩羅什は、論説にも長け、仏教のみならず老荘思想や陰陽道にも長けておりました。
故に仏教の発展にもっとも偉大な影響を与えた高僧であると言われている。
「もしも鳩摩羅什がいなかったら、大乗仏教が成立することは無く、
日本に仏教が伝来しなかったであろう」と歴史的な評価がされているのです。

そんな話を聞くと、鳩摩羅什とはどんな僧であったと思いますか?
とんでもない高僧だと思いますよね。
つまり、戒律を守り、高潔で謙虚な俗世間とは隔離された世界に住み
お経の翻訳をしている預言者のような人物を想像するであろう。


しかし、
もしも鳩摩羅什が「法華経」や「般若心経」や「阿弥陀経」の翻訳を
お寺の中では無く、どこかの宮殿で行い。
しかも酒を飲み、十数人の美女に囲まれた生活をしてたとしたらどう思いますか?それを信じることができますか?


鳩摩羅什はクチャ王国の王妹の子でした。
母に随って出家しますが、その後、クチャ王国は呂光という男に滅ぼされてしまいました。

呂光は、中国の前秦という国から、クチャを併合するため派遣された武将ですが、そのままそこに居着いてしまいました。

この呂光は仏教など分からない男で、鳩摩羅什は捕虜になりました。
そして貴族の血を引く僧の鳩摩羅什にクチャの王女を妻とするように強要します。
もちろん僧である彼は断りました。
すると怒った呂光は、鳩摩羅什に酒を飲ませて、王女と密室に閉じこめ破戒させてしまったのです。
つまり鳩摩羅什は酒と女に溺れてしまった。
この話は諸説がありますが、どうやら鳩摩羅什が酒と女に溺れたことは事実のようです。

その後、呂光の国は滅ぼされて、
鳩摩羅什は今度は後秦という国に迎えられます。
すでに彼の翻訳の素晴らしさと共に、陰陽道にも長けていたので
彼の名声は中国にも知れ渡っていたのです。
捕虜であった羅什は、ようやく中国にて盛大に迎えられたそうです。

さて、
中国の長安で鳩摩羅什は庭園付き宮殿を与えられました。
その時、またもや仏教を理解しない皇帝に命令されて、
身の回りのお世話をする侍女達を侍らせたと言うことになっています。
望むか望まぬかは別にしても、つまり側室をいっぱい与えられたようです。

伝記によると酒と女、かなり素晴らしく破戒人生を歩んでいたのは間違いが無いようですね。
英雄、色を好むというか、
確かに下半身事情と世間的な実績はかなり矛盾してる傑出した人物が多いのは事実です。
私はそんな人物を多く知っていますので、「業績と下半身は別物である。」と思っています。
鳩摩羅什程の天才であるならば、そんな振幅の幅が大きい偉人であったのは当然でありましょう。
しかし、私が今回書きたいことは、「半身事情と世間的な実績はかなり矛盾してる高僧鳩摩羅什」を書きたいのはないのです。

私が書きたいのは、なぜ鳩摩羅什のみが教典に命を与えることが出来たのかという理由です。

彼は説法を頼まれると、いつも同じ話をしたそうで、それが次の言葉である。

「譬喩うれば臭泥中に蓮花を生ずるが如し。但だ蓮花を採り、臭泥を取ることなかれ。」

蓮華は綺麗な水の中で咲かずに泥水の中で咲く花である。
しかしながら、その蓮の花は泥水の中で咲く故に、泥に染まらずどこまでも清い花になる。もしも蓮華の花が清い水の中で咲くならば、これ程美しい花には咲かないであろう。
泥の汚さを知る故に至上の清らかさに憧れ、それを保つのです。

この意味を、「立派な人物は、鳩摩羅什のように破戒僧になってはいけない。鳩摩羅什は汚れてしまった悪い見本だ。」と解釈できますし、
更に「鳩摩羅什は僧侶としては失格であるが、翻訳したお経はどの翻訳よりも正しい。」という解釈もできると思うのです。
確かに、羅什が仏教の経典に命を与える為に、仏から選ばれた人物であることが真理ならば、仏から破戒を余儀なくさせられたと考えるべきでしょう。
その理由は、即ち、泥水の中でしか、蓮華の花が咲かないように、
人間の愛欲の哀しみと美しさの泥の中に落とされた蓮の種である羅什でなければ、
否、羅什だからこそ、「法華経」という美しい大輪を咲かせられたと思うのです。

彼は「弟子はいるのか?」と問われて、
「自戒堅固の律師たりえないので弟子はいません」と答えたそうです。
つまり、私は破戒の僧なので、弟子を持つような立派な僧ではないと本心で思っていたのです。
その羅什の心境こそ、
まさに一休宗純の「仏界入り易く 魔界入り難し」という言葉に要約されると思う。

即ち、戒律を守り、瞑想して仏界に入るのは才能がなくても努力すれば出来るけれども
如来の伝えるお経を、後世に残し、しかも正確に如来の心を翻訳することは、
決して誰にでも出来ることではありません。
「魔界の住人」でなくては、芸術・文学の世界の創造者には為れない。

この心境は想像を絶するものがあるでしょう。
川端康成や芥川龍之介がいうように、
芸術家は魔界に住み、常の己の心や生活を破壊しながら美しい作品を作るのです。
羅什も同じです。
大乗仏教の教典を翻訳する為に、己を泥の中に落とし、その苦悩の中から
美しい花を咲かせたのでありましょう。
確かに、羅什は、僧としてとても複雑な心境であったと思います。

もちろん翻訳家としてはすばらしいものがあったが、仏教徒としてどうなのか?
しかし、羅什が愛欲に溺れ、苦悩した故に、一層、仏に救いを求めたのではないか?
そして破戒僧である故に、大乗の教典に書かれている世界にのめり込むことが出来たのではなかろうか?

そんな羅什が死ぬ時に、

「自分が亡くなって焼かれても、もしも私の訳した経に間違いが無いのならば、
必ずや舌だけは残る。」
といった言葉に、私は彼の僧でありながら翻訳者としての確信を見るのです。

だから、私は仏に選ばれた不安と恍惚の人であった羅什に惹かれずにはいられないのです。

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
エイジさんが仏教とかキリスト教とか宗教に詳しいのは不思議?
に思っていましたが、やっぱりご興味がおありだったんですね。
それにしてもすごく詳しいので感心してしまいます。
趣味と教養の時間ですね。m(_ _)m
花娘
2009/01/17 15:23
難しい話を素人にも分かりやすく!
相変わらずエイジさん凄いね〜
面白い!

苦難を乗り越えてこそ美しい華を咲かせられるのね
お年寄りがお経を心から有難いと思えるのは長年苦難して生きてきた証なのね
その華を咲かせる為に人は生きているのかもしれないね
私の最期には美しい華が咲かせれたらいいけどな(^_^;)
yum
2009/01/17 20:22
難しいけど、でも、仏教のお話は好きです。
お経も、唱えられないけど、好き。
京都で時々、お寺さんのお経の時間にあたる時がありますが、聞いていると心地よくて、なかなか離れられません。
お経の声に、安堵感を感じ、ずっとそこで聞いていたいといつも思います。
ゆか
2009/01/17 20:46
『鳩摩羅什』知りませんでした( ・◇・)
葬儀で「般若心経」を渡されても、隣の人に回してしまい、読みませんから。
エッ、ジャ、コメントするなって?
イエイエ 勉強にはなりますから、無いアタマ捻ってみますよ。
仏教の元となる教えを一般人が見ても難しくて理解しにくいだろうし
そこから、多くの弟子に引き継がれ流れ流れて、様々な解釈がなされて、数々の地域性や人民性に合わせた形式に変わって伝えられるだろうことは想像できますが、多岐多様になったものの根元が見えないことがありますね。
ここにね、アタマを捻ってしまうのです。
私は僧侶の経を聞くと、背から肩にかけて湧き上がる何かを感じることがあって、とても気持ちが凜とします。白檀などの香も好きです。
仏教に特別な関心なくても自然と求められるということは、それだけ、布教の中で、人々の心に受け入れやすいものに形づくって来た人々のチカラがあるのだろう。
ウチは禅宗ですが、ここでよく説かれる『輪廻転生』には大いに疑問をもっておりまして、どうしても立場上その理を説く導師の話を真として受け入れられないときがあります。
末端の話で恐縮です。
カラス
2009/01/18 13:11
おお〜
人間愛欲の哀しみと美しさを知らなければ
美しくなれないのですね。
今から溺れてみても間に合うかしら?
そういう意味じゃないよね(汗)

我が子はお寺の保育園だった為
般若心経、無意識に唱えてます。
鳩摩羅什さんの翻訳だったのですね。
一つおりこうになりました。
カモちゃん
2009/01/18 22:47
エイジさん、おはようございます。
「鳩摩羅什」知りませんでした、どころか、「什」を「汁」と読み違えて、読む前は食べ物の話かと(大汗)
「般若心経」を唱えたことがありますが、おっしゃるとおり、大変リズミカルな詩的なお経です。唱えるだけで心が綺麗になるような錯覚さえ催させるような…。人間の限界に挑戦するような苦行を経験しなくても仏の世界に近づけたと思わせるような美しいお経…。塵芥のような煩悩の民に訴えるには、仏の言葉を美しく翻訳する優れた人間が必要だったのですね。それが鳩摩羅什だったと理解しました。
しかしエイジさんは宗教の世界にもお詳しいのですね。尊敬です。

薫の君
2009/01/19 08:34
己を泥の中に落とし、その苦悩の中から咲かせた「美しい花」は
実に魅力的だと思います。。。その花を咲かせた人物にも
もちろん惹かれずにはおれないでしょうね。
みどり
2009/01/19 11:16
なんかね。
こういうと変なんですけど、もともと知ってたような気がするんですよね。
だから人の話を聞いても「そりゃ違うやろ?」とか感じるんで
必ず、原書を読むようにしてます。
そうすると「こういう意味だよね」って納得できます。
だからね。原書から考えると
仏教の宗派というのは無いですよ>花娘さん

そうなんです。
きっと泥の中に生きてる人間だから
救いを求め、美しさや感謝を知ることが出来る。
それを親鸞は「善人でも救われるのだから悪人ならなお更救われる」と
言ったんだと思います。
まさに生きてるということは悩むことだと思います。
仏教は悩む人間に非常に優しい教えなんですよね。>YUMさん

ゆかさんって きっと
罪深いゆえに、救われる人間の典型的なお方かも知れませんよ。
ええ。
きっとゆかさんみたいな人を仏は愛してると思います。>ゆかさん
エイジ
2009/01/21 18:24
確かに、実際に浄土があるのかとか
念仏で救われるかというのは、誰にも判らないですよ。
死んで初めて判る。
しかも私たちの多くは誰も過去世の記憶もないし
あの世にいた記憶も無いです。
あの親鸞でも、「本当に念仏で救われるのか?」という疑いを持っていたと歎異抄で言ってますよね。
ただ確実にいえるのは、人間は必ず救いを求める者であるということです。>かなさん

悲しみや痛み、寒さを知らなければ
人は本当にやさしくなれないもので、
逆に堅物の聖人では、きっと慈悲も無いという意味でしょうね。
人間にとってもっとも大事なことは
罪を犯さないことではなく、他人に優しいことです。
だから泥の中で咲く蓮華を例えに出されるのでしょうね>カモちゃん
エイジ
2009/01/21 18:35
薫さん。こんばんわ。
ちなみに
源氏物語の宇治十帖は仏教の話だと思います。

例えば、源氏の薫大将と匂大将は、精神と肉体の象徴です。
浮舟はどちらも選べず出家しちゃうんですけどね。
つまり、これはですね。
精神と肉体のどちらも善ではないということです。
薫も匂もどちらもだめなんです。
その点、光源氏は精神と肉体のどちらも持っていたのです。
光源氏こそ善である。すなわち空即是色なんですね。
式部はそれを書きたかったと思うのですよ。
紫式部は浮船の話で、仏教の真髄を書いているのです。
だから私は、浮舟の話はもっとも好きなんですよね。>薫さん

人間は必ず死ぬし、罪を作ります。
だから仏教でもキリスト教でもね。
人は誰でも生きてるうちは
正しさではなく、優しさを善とすべきである。
ということ。
それこそ、もっとも重要であると教えていると思います。>みどりさん
エイジ
2009/01/21 18:47
私は「鳩羅針盤」と読んでしまい、鳩が羅針盤になるお話しだと思って開けました。最近目が勝手に文字を解釈して困ります...。
エイジさんのコメントにコメントする形になってしまいますが、
>正しさではなく、優しさを善とすべきである。
これに120%同意します。
キリスト教がこんなにたくさんの宗派に分かれていることに、そしてバチカンの存在にも疑問を感じています。聖書を読むと、キリストは何でも出されたものはつつましく食べたようですが、「〜を食べてはならない」とかいう宗派も多くありますしね。一体どこで、こんなに変な規律を取り入れてしまったのかと思います。英語の聖書も本当の解釈ではない、とも言われてますから、はやりヘブライ語を勉強して読むのが本当なのでしょう。
私はどうも宗教というものが苦手でなのですが、悟った人の言葉は心をつくものがあります。
笑福
2009/01/22 00:11
鳩が羅針盤だったら・・って

ハトサブレですか?

私達は正義と優しさについて
選択を迷ったら
必ず
優しさを取るべきなんです。
それを正義を取るから
人間は悲しいことになるのね>笑福さん
エイジ
2009/01/22 21:13
エイジさん、こんばんは。
ちょっと前に読ませていただき、考えていたのですよ。
なるほど、旋律、音の美しさがあってこそ、広まった。
聞いているだけでヒーリング。。。。

どんなに内容がありがたくても、その内容が理解できなければ
ありがたみも享受できないわけで、
「美」「芸術」という形で、体現してくれていれば
体感できるのでしょうね。。。。

それにしても、感動しました。
「人麻呂の暗号」という本がありましたが、
そのようなことも思い出しつつ、、、。
メッセージが様々な形で込められたりもするし、、、、

本当にね、感動しました。
カコ
2009/01/23 22:24
結構、力を込めて書いたんで、
理解してもらえると非常に嬉しいです。
ちなみに
クマラジュはですね。
マラ=ペニス
ジュ=液体
という意味もあるそうで、なにやら非常にエッチな名前ですね>カコさん
エイジ
2009/01/27 18:17
本当に力を入れて書いたのが伝わってきます。凄いです。
やはり年代を重ねた叡智は重みがありますね。
私は時々思うんです、ここ数年感じるんですが、これからは魔界の住人でなくして素晴らしいものを生み出す芸術が出てくるのではないかって。
魔界を知る人間は今やもう闇の長居をやめてその記憶だけ持ち、あとは内在の信をエネルギーに創作出来ないのかな
昔の文豪の破壊行為はあれは一種のファッションだったのではないかって思うんです。誰かが最初にこういうもんだと始まったのを真似した、そして自害する
そうしないと自分の生み出した物に価値が与えられないという恐れとエゴがあったのでは…と。作品は素晴らしくても生命的に実に勿体ない行為だったのではって思うんです。でもそれも日本人の美意識だったのかな?

クラマジュは鞍馬寺、金星の王サナートクマラと関係があるんでしょうか?
名前が似てますよね!
Allex
2010/03/11 05:35
鞍馬寺の本尊は、もともと毘沙門天であり、併せて千手観世音と護法魔王尊を祀った寺院であった。しかし、鞍馬弘教立教後の現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要します。
鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされ、中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊の三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地」としている。
ところが、この「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという話は、実のところ非常に新しいもので、昭和期の住職・信楽香雲が、1947年に神智学の影響を受け鞍馬弘教を開宗したもので、古代からあった話ではないようです。>Allexさん
エイジ
2010/03/13 07:41
親鸞様は阿弥陀経を化身土においたのはなぜか?
とみ
2010/09/01 23:19
エイジさんの文章はいつも豊かで美しいです。

鳩摩羅什を取り上げるのもそうですけど
悩み多きの市井の人々の心に寄り添っていて突き放さない。

いつもながら素晴らしいですね。


ハナシは逸れますが
この頃たまに、

霊的なことや宗教的なことを
取り上げるブログを読むのですが、

どこか書く人の心に
高慢さ狡猾さの生臭さを感じて
嫌な気分になることがあるのです。

自分の直感で判断していますけどね、、、。
私は魔界の人なので(笑い)

純粋な人は妄信してしまうだろうなって。






ららあ
2011/08/28 15:16
偽物を見抜く方法というのは、
まず本物を知るということが大事だと思います。
それから情報を鵜呑みせず、
しばらく様子をみると良いと思います。>ららあさん。
エイジ
2011/08/28 20:58
大乗仏教を勉強中で立ち寄り、感動しました。鳩摩羅什については才能の裏に醜男説もあり、どのような人物かひかれていたのですが、真実は分からないとはいえ、とても納得してしまいました。通りすがりですが、ありがとうございました。
みよ
2014/03/20 13:59

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