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zoom RSS 人は生きていたように死んでいく

<<   作成日時 : 2008/08/20 18:15   >>

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先日、親戚の法事がありました。
そこでお年寄りの方と話す機会があり、やはり年輩の方は「死に方」について興味があるようで、

「できたら、死ぬときは誰にも迷惑かけずにポックリ死にたいもんだ。」
「でも、こればっかりは自分の意志ではどうにも出来ないことだね。」

という会話をされているのを聞いていたんですけどね。

この話題は、非常に巷でよく聞く話題だと思うのですよ。

実際に色んな人を見てると、生き方が違うように、死の迎え方も一人一人違う。
ポックリ楽に死にたいけれども、寝たきりになったりするのはよくある話で、
どうやら死に方だけは自分の意志ではどうにもならないようだ。
運命とか宿命みたいなお任せ的なことなんですよね。

その中に何人もの死んでいった患者さんを観察した院長先生が居たんですけど、
先生が非常に面白いことを教えてくれたのでBLOGしようと思う。

先生によると、
「人は生きたように死んでいく」 のだそうです。

しっかり生きてきた人はしっかりと亡くなっていく。
ネチネチ生きてきた人はネチネチと亡くなっていく。
だらしない人はだらしなく亡くなっていく。
普段から感謝してる人は、感謝しながら亡くなっていく。
不平ばかり言って生きてきた人は不平ばかり言ってなくなっていくらしい。

死に際に現れるのは、地位や職業ではなく、その人の生き様、人生への態度だそうだ。

裕福な生活を送ってきたように見えても、
本人の心が憂鬱で悲しみながら生きてきた人は、死を間近にした瞬間まで、憂鬱で悲しむことになるし
逆に、病に苦しんだような苦しみの人生でも、心穏やかに歩んできた人は、死の間際にも穏やかさを失わないのだそうです。


つまり大事なのは、よき死を迎えるためには、よき生を生きなければ行けない、という事なんでしょうね。

でも、よき生というのはいったい何なんでしょう?
この答は、個人の主観や美学や環境や生き方によって個人差があると思う。

ヘンリー・J・カイザーという米国の造船王が「一緒に困難な仕事をしたい人」について

「人生を楽観的にとらえ、情熱を持ち、毎日の問題に熱意と自信を持って取り組み、勇気があり、想像力に富んで、周到な計画と勤勉さで気迫を一点に集中できる人。
しかし、もっとも重要な事は、
「これは大変な仕事ですね。でも、必ず成功させましょう」と言ってくれる人だ。」
という名言を残しているんだけど、
確かに人生は色々であるが、良き生き方というのは、いわゆるカイザーの求める「一緒に仕事をしたい人」に限りなく近い「前向き」の人のように思うのである。

ところで、
私は「人は生きていたように死んでいく」という話を聞きながら、なぜかイエスの十字架での死を思ったのです。

イエスは、むち打たれ、唾を吐きかけられ、十字架に磔にされて、つまり家族や愛する人には絶対に見せたくないような、このうえもなく惨めで屈辱的な死刑をされたと思うのだけどね。
仏教の因果応報的な解釈をすれば、イエスはそのような死を受ける悪行をしてきたのでありましょうか?それともイエスにそのような死を呼び寄せる心の弱さがあったのでしょうか?
つまり、イエスはそのような死を迎えるような生き様だったのでしょうか?

この問題を考える上で、イエスの死を目撃した全ての人々の心にイエスの偉大さを確信したという事実。即ちイエスの死は無惨であったけれども、イエスが神の子であると誰もが確信したことが重要だと思うのです。
普通なら、イエスが教祖様だったら信者全員ガッカリの筈だし、自分の子供なら情けなくて仕方がない筈なんだけど、ペテロもヨハネもマリアもマグダラのマリアも、全員がイエスの偉大さに感激する訳ですよね。

それはつまり、激動の人生の末に与えられたイエスが十字架の死に際しても、彼の心は神々しい程に偉大だったという証明ではなかろうか?
即ち、人類すべての罪を贖うという信念は、イエスの死によって成就したのです。
だから、イエスの生き様のようにイエスは死んでいったことに間違いはないのでありましょう。

だからね。
今度、お年寄りと話をする機会があってね。

「できたら、死ぬときは誰にも迷惑かけずにポックリ死にたいもんだ。」
「でも、こればっかりは自分の意志ではどうにも出来ないことだね。」

っていう展開になったら、

「人は生きたように死んでいくみたいですよ。おじいちゃん。」

と結論じみたことを言ってみようと思ってる。

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コメント(22件)

内 容 ニックネーム/日時
>人は生きたように死んでいく
「なるほど」の一言ですね。
うん。
できれば、私は、感謝しながら死んでいきたいですね。
いろんな事に感謝して、ひとさまのちっさな好意に気付ける人になりたいです。
いや、なろう。うん!
ゆか
2008/08/20 19:32
うっ…ヤバい!
今のままでは、優柔不断でネチネチと愚痴を言いながら他人に迷惑をかけて死にそうじゃないですか(T_T)
分かりやすい!
これが私の現状なのね(^-^)/
喜べない(;_;)

若い頃はもっと前向きでブイブイいわせてたのにぃ…
マジでネガティブ…
なかなか抜け出せないままツラいっす(>_<)
yum
2008/08/20 20:42
う〜む。エイジさんの持論通りですよね。人は状況によらず、態度は基本的に変わらない。。。。それは死の時にもですね。。
私の場合、どうかなあ、、、「ああ、そう。」かな。「ばかばかしいから、そんなことは、考えない」かな。なんか、重みがないわ。
カコ
2008/08/20 21:35
エイジさん、おはようございます。

全くその通りだと思います。
イエスのように偉大にはなれないだろうけど、
僕は死ぬ時は家族に
”ありがとう”
って言って死にたいなと思っています。
だから、これからも前を向いて生きます!(^^)!。
新しまじろう
2008/08/21 06:28
深イィ〜〜♪

ほんとに えぇ話やげ。
こういうことが ちゃっちゃと書けるエイジさん
でぇれぇ カッコイええげ〜。
・・・と 岐阜弁で書いてみました。
みるきぃ
2008/08/21 16:33
ああああああ
ちょっと耳が痛い〜〜!!!
私はだらしなくネチネチと文句ばっかり言って死にそぉぉぉぉ><

そう言えば
うちの母方の優しいおばあちゃんはポックリ逝けるようにと
ポックリ寺にお参りしに行った事があるんだけど
結局交通事故で亡くなりました…(T_T)
ポックリ寺が効いたんでしょうか…
父方の口うるさいおばあちゃんは
お昼ごはんをたらふく食べて
「眠いからお昼寝する」と言って
寝てる間になくなったそうです。

父方のおばあちゃんが羨ましいです

キキ
2008/08/21 21:01
私もかつて看護学生だった頃、人の死に遭遇何度かしました。
いやなくらい、その人の人生の総決算だなと思いました。
だから生きてきたように死ぬってほんとほんとそー思います。

一番感動した死は、ヤクザの親分(ぽいひと)の奥さんが亡くなった時。
面倒見てもらったのか、子分たちが病院の廊下一杯にやってきて、
おいおい泣いてました。

あやこまめ
2008/08/22 02:55
なるほどねー。
何か私は文句言いながら死にそう。
文句たれなので。。。
kyo
2008/08/22 12:01
先日祖父が他界したのですが,とっても穏やかな死に方だったようで,おじいちゃんらしいなと思ってしまいました.ぽっくりと死んでしまいました.
さわやかな笑顔の遺影で,死んでしまった今でも見ているだけで優しい気持ちになれます.私にもおじいちゃんみたいな死に方できるかな・・・
NORI
2008/08/22 13:42
思うに、感謝して死んでいくというのはもっとも幸せな死に方だと思うのですよ。
人間の境涯は半分が苦しみで半分が楽なので
なかなかその境地に至るのは困難かもしれませんが
せめて死ぬときにはカントのように
「これでよろしい」と意識的に思いたいですね>ゆかさん

所詮、死に方を気にするのならば
生き方を気にしたほうが良い。ということなんですよね。
だから、生き方が「前向き」ならば死に方も案ずるに及ばず。ということだと思うのです>yumさん

いや。これはね。
人って誰でもどんな風に死ぬか不安じゃないですか?
でね。
死に方の心配するよりも生きたように死ぬんだから
余分なことは考えないで正しいのですよ>カコさん
エイジ
2008/08/22 18:05
新加勢大周みたい。こんばんわ。新しまじろうさん。

結局ね。無駄死にはないつーことなんですよ。
たとえば、竜馬が田んぼの中で死んだとしても、信長が本能寺で死んだとしてもそれは無駄死にではないつーことです。
人生意気に生きましょう。>新しまちゃん

うーむ。
私岐阜なんですけど、田舎言葉は判りません。(しくしく)

きんのう、私も板取村に行ったんですけどね。
みるきぃさんのざいしょ?
どえりゃー自然が素敵だもんで
地べたに座ってね、ときんときんのアイスを食べました。
あんばよう食べれたもんで、どぇりゃー良かったですよ。
みるきぃさんにもアイスをもやぁーこしぁあよかったですね。>みるきぃさん
エイジ
2008/08/22 18:30
「眠いから寝る」って死んでいくのは素晴らしいですよね。
この二人のばあちゃんの死に方の大きな違いは、心の優しさによる差ではなくて、心の前向きさの差が死に方の差になったような気がしますよ。
だからキキさんが、口うるさいおばあさんの死に方にあこがれるのならば、
どんな時でも強く人生を生き抜くようにすればいいと思います。
最近、いいなぁーと思ったのは、赤塚不二夫さんが口癖だったバカボンのパパの「これでいいのだ。」という辞世の言葉が粋だよね。>キキさん

やはり、いくら金があっても女にモテナイようじゃ人生楽しく無いし、金がなくても女にモテルほうが人生楽しいと思う。
だから、たとえヤクザの姐さんでも、子分達全員に泣いてもらえる死に際は
姐さんの生き方に嘘が無かったという証でしょう。
極道も極めれば道になるのでしょうね。>あやこさん
エイジ
2008/08/22 18:40
いや。kyoさんは人生に前向きなので
美しくぽっくり死ぬと思います。>kyoさん

私思うのですけどね。
親というのは子供に生き方を見せると同時に
死に方も見せるものであると。
憧れる死に方が親というは、親として合格でありましょう。>NORIさん
エイジ
2008/08/22 18:40
エイジさん・・下手っぴ(>▽<)
みるきぃ
2008/08/22 18:48
ああっ〜!
そっかぁぁ〜
そう言えばそうかもしれないです。
気の強さというか
マイペースさというか…^^;
キキ
2008/08/22 21:36
あとね、あとね、死の床では、、、
「死んだ振りをする」

なんて。。。。そんなにふざけたことばかり
考えていてはいけませんね。
いずれにせよ、生は死を内包していると考えておりますので、
普通どおりにしていたい、、、それが望みですね。。。

考えていれば、「どのように死ぬか」というのがわからないのは
至福なんでしょう。
カコ
2008/08/23 10:52
なるほど。
単純に、痛くなく、苦しくなく、さっぱりスッキリ死にたいアタシ^^;
その様に生きる!事にします(?)
にゃんこ
2008/08/24 12:32
みるきぃさんに下手っぴと言われると
Hな方向に考えてしまいます(汗)>みるきぃさん

ぽっくり死ぬ人は行動的で前向きな人が多いようでありますよ。優しさは関係ないようだ>キキさん

死は万人に訪れるものですから
100人いれば100人の死に方があります。
それが自分だけの死でなく、回りの人々にも影響を与えるものなんですよね。
ですから、「死の床で死んだふりをする」のも良いかもね>カコさん

にゃんこさん。おひさしぶりです。
結局、死というのが自分だけでなく
回りの人にも影響を与えると思う故に
どんな死に方がしたいか?と考えるのではないでしょうか?
ぽっくり逝くにはぽっくり生きることかもね。>にゃんこさん
エイジ
2008/08/24 13:37
はじめまして。
ブログのタイトルを検索していて、やってきました。
それからチベット密教の時間軸の記事をクリックして、現在は未来の結果・・・おっしゃっる内容が、ずんと心に響きました。

時系列でない共時性の見方を大事にして人生を逆向きに眺める、そのような生き方のことが気になりながらも従来の時間軸の中でぐるぐるしていました。

一読して自己構造が一変した感じです。時にかなって、でした。

最近になって身内の病その他の出来事で、悔いのない人生を思い巡らすことが増えました。「人は生きていたように死んでゆく」・・・魂の視点で眺めて考えてみようと思っています。ありがとうございました。

JK
2011/06/11 20:00
僕もJKさんにコメントしようと自分の過去記事を
読んで「なるほど」って思いましたw
この話はいろんな可能性を感じますね
って自分の記事なのにw>JKさん。
エイジ
2011/06/12 09:21
人は生きていたように死んでゆく。
まるで詩のように叙情的な一文ですね。

うろ覚えですけど、丹波哲郎の霊の本の中に
人は人生の数々の場面で一番大切にしなければならないのは死に際である。
というものがありました。

死に際に執着を捨て
潔く死に行くことをせねば来世に遺恨を継ぐ みたいな。
読んだ時はまだ若造ででしたけど今はなんとなく解ります。

往生際は美しく  だけじゃなく
人生全て美しくですよね、エイジさん^^



ららあ
2011/07/06 21:45
すべての人が美しく死ねるように、
例えば、
無念のままで死んでいった戦士や
孤独のままで死んでいった自殺者
死にたくないのに災害で恐怖の中で死んでいった人々
生きている者、残された者は
美しく死んでいけなかった人々の供養をすることも
美しく死なせる方法だと思うのです。>ららあさん。
エイジ
2011/07/23 01:05

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