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実に素晴らしい本を読みました。 竹村亞希子さんが書いた「リーダーの易経」(PHP研究所)であります。 読んだ後に、この本は20代に読んでおくべきだったと感じました。 年代によって理解の程度は変わるでしょうけど、20代で読んだ方が良いと思います。 この本は易を知らない人でも読める本です。 実に素晴らしいです。 せひ読んで欲しいです。 その本の内容を説明したいと思いますが、竹村さんがNHK文化センターで「易経講座」をされていた時の内容を元にし、私の個人的な解釈を挿入して紹介しようと思う。 その話は、「龍の話」である。 龍ですよ。 ワクワクしませんか? 龍は中国では皇帝とか君主に喩えられる神獣である。 易において、龍は、潜龍、見龍、君子終日乾乾す、躍龍、飛龍、亢龍の6段階の変遷を経て成長すると説く。 それを「乾為天の龍」といい、人間が成長してゆくために必要な事を龍の成長に喩えて説明してある。 いわば、「いかにして偉大なリーダーになるか?」ということを龍の成長に喩えて易の考え方を説明する訳です。 そして人間が己の置かれた環境によって、その環境がどんな意味を持ち、いかに考え行動すべきであるかを「龍の成長」に喩えて説明してある。 人間の成長論においては、以前に成長の三段階でニーチェの成長論を紹介しましたが、今回の「龍」の成長論はニーチェよりも更に深いと思います。 そして今自分がどの段階なのかを考えると面白いように自分がどうすればいいのかが明確に示されています。 そして龍の成長の変遷は、個人の人生だけでなく、商売や恋愛や学問の方法論にも通じるのである。 では、竹内亞希子さんの「乾為天の龍」の話を読んでみましょう。 ■第一段階:潜龍の時代。 「潜龍もちうる勿かれ」。 どんな龍でも最初はまだ世の中に現れていない。 水の底深く、大地の底深くに潜んでる龍から始まります。 もしも、自分が潜龍であれば焦ってはいけない。 相手が潜龍ならばその相手に大きな仕事を任せてはならない。 潜龍の時代では、時に恵まれないし、力はなく、徳も育っていない。 人脈もなければツキにも恵まれていない。 だから、用いてはならないし、頼ってもいけない。 商売で先方がまだ潜龍だとしたら、その商品やその人を、そのプランを、その会社を用いてはならないのです。 それは自分でも同じです。 自分が潜龍だと判断したら、行動を焦って起こすべきでないし大任を自辞退すべきである。 潜龍を用いることによって仮に上手くいく場合もあるでしょうが、失敗が起きることが多い。 そしてもっとも重要な事は用いることによってその潜龍を育たなくしてしまうこともあります。 では、潜龍の時代は何をすべきか? 潜龍の時代でなければ培えないもの、すべてに満たされていない潜龍の時代であるからこそ、不遇であるからこそ描ける大きな志を、養い育てることであります。 潜龍の時代にすべき最も重要な事は、立派な龍になった状態を強烈にイメージする事なのです。 しかし、ここで重要なことは、「潜龍になること」です。 じつは誰もが潜龍に成れる訳ではありません。 潜龍に為るには「龍徳」が必要であり、龍徳がある者のみが龍に成れる。 その龍徳とは何か? 「確乎としてそれ抜くべからざるは、潜龍なり」とあります。 「それ」とは志です。 どんな不遇な時にでも、けっして志を失わない者こそ潜龍であり、志を失う者は潜龍にさえ成れませんし、飛龍にも成れません。 潜龍の資格がある者のみが龍なのです。 そして、どんなに不遇な状況にあっても、志を失わなずにいられるかどうかは、その志の高さにあるのです。 竹村さんは潜龍について次のように表現されています。 「潜龍とは飛龍の素質を持ちながら、 今は実力を蓄えるために潜み隠れている者である。 世の中が移り変わっても志を変えず、 世間に名を知られようともせず、 世の中から隠遁したような環境にあっても、 不安や心配を抱かない。 認められなくても、悶々とするようなことはない。 泰平の世には進んで行い、 乱世にあって志を行えない状況であれば、身を引く。 確乎として初志を失わないものを潜龍という。」 私、潜龍の力強さに限りなく惹かれます。 潜龍は世に出ずに、ひたぶる志を描く時代である。 ■第二段階;見龍の時代。 「見龍、田に在り」。 隠れ潜んでいた龍が時を得て田園に出てきました。 潜龍は、見龍に変化すると地上に出てくる機会を得る。 即ち見龍は潜龍の徳が満ちて力がある程度ついてきたから 田畑に出る機会を得るのです。 それはまったく無理なく自然な成り行きでそうなる。 この時のアドバイスは、「大人を見るに利ろし」。 ずっと志を燃やしている潜龍を見て 「あいつはなかなか見所がある。」と潜龍を見いだしてくれた人がいる。 その人は大人であり飛龍である。 この大人である飛龍が自分を見いだしてくれた。 「その飛龍の言うことを聞きなさい」 という意味である。 また、見龍にとっては、理想とする手本がある筈です。 その手本も大人です。 この「大人を見るに利し」ですが、大人の言うことに聞き従いなさい。 大人のコピーになりなさい。という意味である。 例えば、サラリーマンで社長から抜擢されたら、大人である社長の行動を批判したり欠点を探したりせずに、社長の言うとおりに働きなさい。という意味です。 心理学でいう「モデリング」ですね。 成就者の真似することです。 何もなかった潜龍時代から一気に見龍の段階になると何もかも見える気になります。 何でもやれる気になります。 有頂天になりがちです。 でも、まだまだ成長過程ですから、なによりも自制が肝心絶対であります。 『脚下照顧』です。足下を見なさい。 足下をきちんと固めなさい、ということです。 そして、重要なのは、自分の手に余ること、自分の力量以上はやらないことです。 では、見龍は何をなせば良いか? 同じことの繰り返しです。 聞いたことに従う。 大人が教えてくれたことに従う。 それのみである。 それ以外は不可である。 まず、まねをすることから始める。 見龍の「大人を見るに利し」は まねの段階です。徹底的にまねることによって、学ぶのです。 まねるのは簡単なようで非常に困難な道です。 すっかり、まねたつもりでいても、なかなか「まねる」は出来ていません。 コピーになっていないのである。 完全に懸命にまね続けていくと、そのうちに型、基本ができてきます。 基本が出来ることの重要な事は、たとえ、突発的な事件が起きたとしても基本に戻ることができることでありましょう。 見龍の段階では、基本が出来て、そこではじめて力がついたといいます。まだ見龍は、技の段階ではないのです。 見龍の時代は姑息な手段や楽な近道を排し、モデルを徹底的に真似る時代であり、大人の言うことを実直に実行する時代です。 ■第三段階:鍛錬龍の時代:君子終日乾乾時代 見龍はまだまだ飛龍には成れません。 見龍が飛龍になるのに大事なのは、朝から晩まで「乾乾す」即ち努力することだといいます。 そして、その努力の中身は同じ事を毎日繰り返すことを、一定の期間、継続するということであり、 何より大事なのはただ、漫然と続けるのでなく、「乾乾す」ること。 高揚感と意欲を持って繰り返すことが大事であるということです。 そして、夕方になったら、今日の仕事はどうか? 今日の一日にあったことは良かったのかと、恐れるがごとく反省する。 そしてそれを毎夕、繰り返します。 ここに来て何か動きが出てきます。当然、困ったことも起きてきます。 そんなときに基本にかえり、一つ一つを手堅く対処する。 基本形を繰り返していくと創意工夫の力が育ってきます。 基本を繰り返し反復することによって、応用が効くようになるのである。 そこで初めて技を得たといえます。 毎日、同じ繰り返しは、マンネリズムに陥り、ミスが起きます。 それに対して反省、対策をします。 ミスは、足りない要所を教えてくれます。 しかも、何か失敗したり恥ずかしい思いをすると、二度と恥をかきたくないという思いが反省の積み重ね、問題点の気づきを生み、より工夫され、変化技に繋がります。 この段階で初めて創意工夫の始まりと言えます。 その人の個性は、この段階で発揮されます。 要領のいい人や器用な人はトントン拍子で進みますが、失敗が少なくて すぐにコツをつかんでしまうと陥りやすい罠があります。 コツをつかむこと自体は能力であり、とてもラッキーなことですが、簡単にコツをつかめることによって見龍の成長を妨げることがある。 それは 「わかったつもりになる」 「飽きる」 ベテランが陥る罠に似ています。 しかし、ここで「終日乾乾」とした反省だけが罠を逃れさせるのです。 確かに結果は上首尾に終わったけれど、本当にこれが最善の方法だったのか? 自分は力がついているのか? 分かったつもりでいたが本当の意味で分かっているのか? というように毎日、終日乾乾することによって成長は持続し、ますます力量が違ってきます。 第三段階は、易きに流されぬように自己鍛錬し、忍耐して繰り返し反復練習をする時代です。 ■第四段階:躍龍の時代(或いは躍りて淵に在りの時代) 途方もない繰り返しの鍛錬をした見龍は、突如として躍龍に変化します。 「或いは躍りて淵に在り」 3段階を経て進んできたのなら、確実に力はついています。 ではあと、何が足りないかと言えば、易が教えている「時」です。 あとは、時が揃えばいいのです。 易では「天の時・地の利・人の和」がすべて揃えば、飛龍になると教えます。 いくら実力があっても時を得ていなくては飛龍には成れません。 この時かどうかを見るのが、「機」です。 「機」の字の成り立ちは、木+幾(ごくわずか) もとは織機の間に挟まって仕掛けを動かす小さな木の棒。 「機」は、仕掛けの鍵、時、秘密であり、獲物を見たら一気に襲いかかれるように虎視眈々としてる状態である。 「或いは躍りて淵にあり」 躍ったり淵にいたり、ですから潜龍の頃にいた地中にも戻る。 飛ぶか飛ばないかいつ動くかというウズウズした微妙なところです。 まさに、早すぎても駄目、遅すぎても駄目で、絶妙なタイミングを狙うのが躍龍であり、力はあるし、全て備わっているのに時だけが今か、今かと待つ。そういった時が、躍龍なのです。 そして、この機を見間違うと落っこちてしまいます。 では、飛ぶ力は、前の段階までに出来上がります。 「君子終日乾乾」の三段階で力をつけるわけです。 いわばこの時代は時を観ます。 否、時を観る力量も育っているのです。 しかし、どれだけ高く飛べるか どれだけ長く飛び続けられるのか。 その飛ぶ中身、内容さえも前の段階までで養われます。 では飛龍に変化する時、大空を翔る飛龍になる兆しは どのように見分けるのか。 時が動くのです。 ほとんどの人は、時を観る力がありません。 しかし、飛龍に移る時は、いろいろな変化で分かるのです。 それは、ちょうど良い所に、アレがあるといいな という条件が見事に揃う。 いわば、キタキターキタゾーってつもってロンって感じでしょうか? ストンとはまる、としか言いようがないようなツイテル状態である。 躍龍の時代は、実力を維持し、時が来るのを待つ時代です。時が来るまで行動を起こしてはいけません。 ■第五段階:飛龍の時代 躍龍が時を得た瞬間、蓄えた力を解き放ち飛龍に変化します。 飛龍の時は、龍に雲が集まる如く、無理なく、特別な努力も要せず 必要なものは全て整えられます。 エネルギーが全て、集まってきます。 磁石に引き付けられるように。 それは飛龍には雲が付き物であることで判ります。 よく絵画で雲のない龍がありますがあれは飛龍ではありません。 飛龍は必ず雲と共にあり最高の飛龍は顔が雲に隠れているといいます。 勢いも、人間関係や事業方面でも同じです。 アイデアが欲しい時は、アイデアが持ち込まれ、資金の調達が必要であれば借りてくださいとお金が来る。 人材が必要な場合には、それにぴったりの人材の話が降って涌いてくる。 手に取ったジグソーパズルが偶然にも全て合うような感じです。 この飛龍の段階では、特別な力を得たかのように全てがうまくいくのです。 その兆しが出始めるのが、飛龍の前の第四の段階です。 しかしそれは「時を得た時」であり、時でなければ、不都合が起きます。 その不都合が生じることにより、まだその時でないことを私たちは知ることが出来るのです。 自分は春のつもりで種を蒔くけれど、時は春でなく、まだ冬であれば芽は出ません。 自分としては、早くしたい、上手く進ませたいので今がその時なのだと思いたい。 しかし、大自然が「まだその時ではない」と、「それはちょっとおかしいよ」などと小宇宙である私たちに信号のパルスを送ってくれるのである。 この信号が送られてくるのは、運のいい人だけではなく、万人にです。 送られているにも関わらず、我々はそれが聞こえないふりをするのです。 聞きたくないということもあって、聞こえないふりをしているうちに 本当に聞こえなくなる。 春夏から一気に冬には為らないように、必ず青信号の後は青信号の点滅(または黄色信号)があるように、必ず変化には時間的な余裕があります。急に赤信号にはなりません。 「時は動く」と易経は言います。 全てがそのままで変化しないような不変なことはひとつもない。 しかし、その不変が絶対であるが、変化の仕方にも絶対不変の法則がある。と易は教えるのである。 さて、「終日乾乾す」で徳を培ってきた君子でさえ、「飛龍天に在り」の時には罠や落とし穴があります。 それは何かというと 全てが文句なしに、整っていること 必要なものが揃っていることなのです。 そこで「利見大人」:大人を見るに利しとアドバイスが飛龍についているのです。 何もかもがうまくいっている時は、一瞬で降龍に為ります。 では、その飛龍にとっての大人は誰か。 結論から言うと自分以外の全てが大人です。 もし、そのまま破綻なくスムーズにいくとそのまま降龍になります。 陽というのは強く進みます。 勢いがあります。 陰と陽に分けるとすると 人の言うことは聞かず 自分から自己主張するのは陽です。 話を聞くほうは陰です。 飛龍は全てが備わっている 全てが陽でできている“極陽”の状態である。 飛龍が、陽だらけの自分の内に陰を生み出す必要があるのです。 それを教えているのが、「利見大人」です。 大人の言うことを聞く、人の意見に耳を貸す自分になる。 飛龍が自分から陰を創り出すには「利見大人」しかないのです。 自分が自分がと勢い自分の思い通りにする。 その状態を自ら虚しくし、控えめにして、ブレーキをかける。 ブレーキをかけたり、控えめにするのは陰を生み出すことになる。 飛龍が陰を生み出すと「火天大有」の卦になります。 「火天大有」はトップだけが陰で、能力がなく、回りの人は全員優秀であるといった卦である。 自らを虚しくして、控えているわけです。 自分を虚しくするわけです。 トップが陰の場合は自分の力を誇示しません。 このトップは自分が陰である故に、周りの賢人、才人や能力のある人々が集まって来ます。 そしてそれらを生かし、その力を発揮させます。 なぜ、それが出来るかというと自分の能力の限界を知っているからです。 では、最高のリーダーの能力はどのように発揮されるかというと 部下一人一人と能力を競い合うのでなく、自分には個々の能力はないとしてそれぞれの人の力を上手に発揮させる。 それが出来たとしたら、それこそが、永続し長らえるトップの能力、力量であり、龍徳なのです。 もしも、能力のある人材を抱えていながら彼らの力を発揮させることが出来ないようではトップの位を保つことはできません。 飛龍の時代は己の実力を誇示せず、高ぶらず、謙虚にして周りの人材を育てる龍徳を発揮する時代です。 ■第六段階;亢龍の時代:大人を見るに利ろし さて飛龍で最高であるが、飛龍は常に雲を伴っている。常に雲の中に姿を隠すゆえに龍の徳を発揮できるのであるが、あまりにも力が強いと雲を忘れてさらに上へ飛んでしまうものである。 気がつくと、雲も消え、大空に孤独な龍になる。これを亢龍といい、もはや飛龍には戻れない。 落ちるのみの龍である。 自分の周りは物、事、全てが大人なのですが「身近に大人がいない」と嘆いている成功者は少なくありません。 これは昇り過ぎた龍で亢龍になります。 亢龍になると、いつのまにか回りにあった雲も無くなってしまいます。 孤独な裸の王様です。 飛龍が自らのうちに陰を生じさせず、陽の強さをとことん発揮して 調子の良いまま進んだ結果であります。 周りは自分よりも劣っていて学ぶべきものはないと思い、お山の大将になって 「自分に能力があるのだから 上手く行くのは当たり前だ」 と思い始めたら、そのときがまさに飛龍が亢龍に変化した時。 亢龍は飛龍には戻れません。 また潜龍に戻るのです。 しかし、運良く(?)不都合が生じたり病気になったりすると 亢竜にはなりません。 だから、不都合なことというのは大変ありがたいことなのです。 もうすぐ赤信号になると教えてくれる青信号の点滅のようなものである。 しかし、そのような痛い目をみずに降龍にならないようにしたいものである。 それには、「利見大人」しかありません。 根本的な徳は第三段階までの「君子終日乾乾」の時代に 養わなくてはいけないのです。 といっても「君子終日乾乾」の時代もやはり最初に培ったものを育てる時代なのです。 では、どこが出発点かというと すべての徳の基礎は潜龍の時代に培うのです。 「潜龍の時代」にありとあらゆる可能性があるのです。 何もない、すべてに恵まれていない時、認められていないだけではなく 皆目検討もつかないような頃こそ、すべての徳が養われるのです。 それは、志の高さによって徳が養われるのであります。 潜龍の志というのは、どんなに大きな志を抱いても良いのです。 先に進むうちに次第に枠ができてきます。 世の中のへつらう人や高慢な人の嫌らしさも不遇な潜龍であるからこそ体験できる。そうならないように、自らを律し、潜龍、見龍、君子終日乾乾の時代までに人を見る目を養うのが大事である。 人を見る目は、自分を見る目でもあります。 すべて、この潜龍時代に養うことです。 亢龍の時代は、引き際を綺麗に行い、己は潜龍として新たな挑戦をする時代です。 乾為天は、沢山のことを教えています。 乾為天をもっと深く読み込んでいくと 様々な変化形が出てきます。 興味が出た方は竹村さんの本を購入して下さい。 人間の成長のみならず、あらゆる生活でのヒントが書かれています。 三国志の話も面白いですよ。 凄い解釈が満載であります。 ↓竹村亞希子さんのBLOGはココです。 http://plaza.rakuten.co.jp/anotamatebako/ |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
この全六段階を延々と繰り返し、前世でも来世でもなんどでもやりなおす・・・・これをみておっしゃーーーとおもえる人は、このゲームを |
どーまる 2008/02/01 01:03 |
おはようございます。 |
しまじろう 2008/02/01 08:12 |
おはようございます。 |
しまじろう 2008/02/01 08:14 |
辰年生まれのサンタママです。 |
サンタママ 2008/02/01 10:38 |
それからどうなるの? |
yum 2008/02/01 16:47 |
易では万物は変遷するのは不変の真理であると考え、その変遷には不変の法則があるのも不変の真理であると考えるわけでして、たとえば解脱を考えるにしても龍の変遷を経ると考えるわけです。 |
エイジ 2008/02/01 18:26 |
しまじろうさん。 |
エイジ 2008/02/01 18:34 |
子育ても龍の成長と等しいですね。 |
エイジ 2008/02/01 18:39 |
yumさんは、潜龍なんです。 |
エイジ 2008/02/01 18:45 |
こんばんは。 |
yum 2008/02/01 21:16 |
何となく松下幸之助さんを思い浮かべました。やはりどこかに世のため人のためという気持ちがあると、王道?を歩むようになるのでしょうか。幸之助さんの思いの籠ったナショナルというブランド名がなくなるということを小耳にはさみ、時代の向かう方向に人の温かみはあるのかしらと少々さみしさを感じてしまうのは私だけでしょうか。 |
ゑひもする 2008/02/01 21:22 |
私がお嫁になってきて1年目に、姑が書道で“従順”と書いたものを額に入れ、飾りました。それは私に言いたかったのかなぁ? |
NORI 2008/02/03 15:41 |
自分の殻を破ることは大変勇気がいることです。 |
エイジ 2008/02/03 17:09 |
十牛図はうちが禅宗なので聞いたことがあります。 |
エイジ 2008/02/03 17:17 |
紛れもなく振り返ればその時代において、NORIさんは潜龍であったのでしょう。 |
エイジ 2008/02/03 17:22 |
飲み込みが早く器用な私は・・・「終日乾乾」とした反省をしなかったので |
みどり 2008/02/04 14:45 |
少し前に読んだのは仏教(禅)の本ではありませんでした。 |
ゑひもする 2008/02/04 14:49 |
私も結構器用で要領も良いので、若い頃ほど図に乗りやすかったなー。もう大丈夫と途中で頑張るのをやめてしまって、でも実はまだ3合目手前ですよ、みたいな。22歳でアメリカに来たことは大きな転機だったかもしれません。 |
SSD 2008/02/05 01:42 |
浮き草というのは、生命力の強い草ですよ。 |
エイジ 2008/02/05 18:32 |
えっ?飛べそうですか、私? |
SSD 2008/02/07 12:39 |
読んで欲しいですね |
エイジ 2008/02/07 19:32 |
竹村亞希子です。 |
亞 2008/06/20 10:50 |
追伸です。 |
亞 2008/06/20 10:52 |
おぉぉっ! |
エイジ 2008/06/20 22:27 |
中堅の今 ちょっと勘違いしている自分に気がつきました。驕ってはいけないんですよね。わかっているはずなのに忘れてしまう。陽を勘違いしてしまうんでしょうな〜。たまたま見つけました。エイジさんよろしく |
kazu 2008/07/20 00:51 |
kazuさん。はじめまして。 |
エイジ 2008/07/20 11:45 |
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