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zoom RSS マイノリティー意識と劣等感の違い

<<   作成日時 : 2007/06/09 17:41   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 20

いつも腹を立てずにいることは難しいことである。
とくにどう考えても理不尽な仕打ちの場合、「もしかして悪いのは自分ではないか?」と自虐的になる場合もあろう。
地元で、寺の僧侶が、キレて刃物を親戚に振り回した殺傷事件があったが、この事件は「我慢」→「自虐」→「爆発」といった典型的な構図であろうと思われる。

「我慢」せずに「腹を立てない」方法こそが大事なのである。

なぜ、あそこの喫茶店のウエイトレスは、尊大な態度で水とおしぼりを置くわけなのよ?
「ちょっと可愛いと思ってスカシてんじゃねぇーよ」と思いつつも
「ホットコーヒー下さい」とうつむき加減で注文する私である。

しかし、安田美沙子似のウエイトレスの姉さんにしてみれば「私がどうして350円の一杯の珈琲の客の為に、サービスしなきゃあかんのですか?」と思っているに違いない。
これは「店員は商売なんだから仕方ない」とかいう論理では解決できないことであろう。
なぜなら、人があらゆる人を選ばずお金の為に奉仕するというのは、本質的に大変な屈辱的な行為であると思われるからである。

サービス業をしていれば、傲慢な客の態度に腹が立つこともあるだろうし、逆に客で入った料理屋で客を客と思わないような、理不尽な扱いを受けて腹が立つこともあるだろう。
特に大金を支払った料理屋で、客を客として考えていないような理不尽な仕打ちには腹が立つより悲しくなってくるものである。

しかし、よく考えてみれば、凹まされた客の場合も店員の場合もどちらも「エラソー」なのである。
「エラソー」な人であるから、凹むのだと思われる。
その「高ぶった気持ち」の根源は、「自分の置かれた立場」であろう。

「店員なんだから笑顔なのは当然ではないか?」とか「客という立場をカサにきて威張るのは最低だ」という「立場からの発想」によって怒ってる訳である。
単純になぜ腹が立つかという理由を考えれば、「自尊心が傷つく」からである。
いわゆる「劣等感を感じる(馬鹿にされたように感じる)」から「腹が立つ」のである。

男であるとか、上司であるからとか、年上だからという理由、即ち「立場を自分の価値と勘違いする人」は、基本的に「エラソーな人」である。
また男を気取りゃがってとか、上司だと気取りゃがってとか、年上だと気取りゃがってとかいう人も「エラソーな人」である。
どちらも立場が変われば相手に怒っているに違いない。

以上の結果、「腹が立たないようにする」には「エラソー(尊大)」に成らないようにすれば良いと判ると思う。

では、エラソーにならないようにするにはどうしたらいいのであろうか?

「謙虚になれ」とよく言われるが、この「謙虚」のあり方が大事であり、謙虚は往々にして「卑屈」と混同される。キレた坊さんの「我慢」と同じになる危険がある。
理不尽な仕打ちを受けたときに「これも私が駄目な人間だから仕方がございません」と思うのが謙虚ではあるまい。それは「卑屈」である。
「卑屈な謙虚」は、まったく問題を解決していない。
なぜなら、「劣等感を感じる」→「凹み」→「腹が立つ」という最初の図式から抜け出していないではないか?
そして「卑屈」の行き着く先は「無気力」か、「逆切れ」である。

どうすれば卑屈にならずして、尊大にならないように出来るか?
私の結論を述べよう。

それは、自分が弱者として不当に扱われたマイノリティー意識を忘れないことが重要であると考えている。

私の定義するマイノリティーとは、財力が豊富な為に、江戸幕府から理不尽な仕事を言い渡される薩摩武士のようであり、罪が無いのに十字架に掛けられたイエスキリストのような、いわゆる「スケープゴード(生贄)」である。

マイノリティー意識は、「理不尽な仕打ちを受ける者」であり、劣等意識とは違う。
劣等意識には、どこかに自己否定があるが、マイノリティー意識には自己否定は無い。
あくまで己に非が無い被害者意識である。
劣等感と違うことが非常に重要なのである。


すなわち、自分が客なら、嫌な客からの仕打ちを受けた店員を思いながら、マイノリティー意識を持って客として振る舞うのである。
また、自分がホスト役ならば、料理屋で理不尽な仕打ちを受けながら、泣く泣くお金を払ったという悲しい過去を思い出しながら、マイノリティー意識を持ってホスト役として振る舞うのである。

部下と上司の関係も同じである。

問題はここからである。

マイノリティー意識で接しても、さらに屈辱を与えられたらどうするか?
じつはここがポイントである。
実際の生活には、この問題の方が多いに違いない。

自分が誠心誠意筋を通しても、理不尽で尊大な態度で接してくる輩には、

「心の中で相手にダメだしする」

のが有効だと提案する。



「だからお前は駄目なんだよ。」
「だからお前はモテないんだよ。」
「だからお前は出世できないんだよ。」
「だからお前は部下に軽蔑されるんだよ。」
「だからお前はハゲてくるんだよ。」
「だからお前は馬鹿なんだよ。」
「だからお前はクズなんだよ。」
「だからお前は不細工なんだよ。」
「だからお前は貧乏なんだよ。」
「あーぁ こんな人間にはなりたくない」

と、どうしてもダメな人間には、心の中で相手の人格と存在そのものにダメだしをするのである。

私の提案は、じつに不道徳で知的な行為とは言い難いと思われるかも知れぬ

しかし、これって不思議なのであるが、心の中で相手にダメ出しして「冷たい視線」で相手を観ると、相手が大人しくなり、理不尽な行為を恥じるのであります。これは心の中で強く思えば思うほど相手に与えるダメージも大きくなるようである。

とくに下っ端ヤクザやチンピラの類に対処するには臆することなく、この方法をオススメしたい。

なに?
チンピラが「なにガンミしてんだよ」と因縁つけてきたらどうするか?

どんな状況になっても、「冷たい視線」を止めないことである。
たとえボコボコにされても「冷たい視線」を止めない限り、悪に屈した訳ではない。負けではない。
相手は必ず自分の行為を恥じる事態になるであろう。

このように心の中に「マイノリティー意識」を持つことこそ、尊大にならず、不当な仕打ちうを受けても卑屈にならない人生において重要な成功哲学であり、精神を健全に保つ精神論であると思う次第である。

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
なるほど、劣等感いっぱいの小心者の私には、心痛い問題です。
確かに、その瞬間カッとなって怒ってしまった場合、あとになって考えれば後悔することの方が多いでしょう。また、後悔するくらいの人間なら、まだこの考えが受け入れられるが、そうでなく最後まで怒りの正当性を信じ通すことができるのも、ある意味強固な自信とも言えるのだろう。
強い怒りの態度に対し常に冷静に応じることと、自分自身も傲慢にならないよう心掛けることは必須であるが、その理不尽さを、相手を軽蔑してみる(馬鹿を相手すると馬鹿になる的な)ことでとりあえず内部処理してしまうことも、心の傷になるだろう。
結果として、どちらが正(徳)であったかの答えが出るまでの時間というものも苦悩であって、その瞬間にしか得られない正義、又はその瞬間に強く出たことで正義が変わってくる、というのもあるではないか、と考える。
そんなコメントをしている私も、かなり卑屈な人間でありましょう。
カラス
2007/06/09 22:10
これは今流行の「鈍感力」とはちょっと違いますね。
(そもそも渡辺淳一のようなH小説家はあまり好きではありません)

私の場合、そういう理不尽な立場に追いやられた場合、
「観察」に徹するようにしています。
観察することによって、相手がどうしてそのような態度で出るのか、その背景を「分析」することが得意です。
相手の言動だけでなく、目や耳から入ってくる相手の「情報」からも、物事の真実を探るのです。

もちろん、自分に多少問題点があった場合もありますが、観察して、それを分析することによって、大体の場合、問題の根本に、相手の自信の無さの裏返し、コンプレックスからの虚勢・・・などが見えてきて、時には相手に対して哀れみの気持ちが湧いてきたりすることになります。

若いとき、絵を描いていたので、クロッキーとか、相手を瞬時に観察することが多く必要とされ、その結果、人より観察眼が、随分、鍛えられているように思います。

KISHIKO
2007/06/10 01:13
気持ちに余裕のある時は理不尽な扱いを受けた相手の「理由」に思いを馳せて(ほとんど妄想)気持ちを鎮める事も出来ますが余裕が無いと怒りを発散させずに終われませんわ。
「どんなにあなたが傲慢で私に対して理不尽な扱いをしているか」と言う事を態度と言葉で表明します。
思ったような返答が無いと余計にストレスになりますが・・・(^_^;)
サンタママ
2007/06/10 10:42
かなさんの心情はよく理解できます。
かなさんのように、「他者への攻撃」よりも「自己観察」により「自己否定」になる人は心優しき高尚な魂であると思います。
しかし、ここで重要なことは、常に「自分本位」ではないか?ということであります。自分が傷ついて終わりではないか?と思うのであります。
すなわち、マイノリティーな体験があれば、「自己観察」よりも「他者への攻撃」になり得る筈であると私は考える次第です。
しかし、ここでマイノリティーは耐える訳です。
でも、そこには「他者からの視点」が存在するゆえに、精神的には強いと思うのです。>かなさん
エイジ
2007/06/10 11:19
私は、葬式で名簿に住所を書かない男でありました。
それは私なりの哲学があってのことなんですけどね。
しかし、自分が喪主をして、住所の書いていない人に困った体験をしました。
そのとき、自分の哲学がいかに「自己本位」なものであったのかと思い知らされましてね。
その後、葬儀にいったら必ず「名簿に住所」を書くようになったのであります。
KISHIKOさんのように「相手の気持ちと立場」を考えられるということこそ「マイノリティー意識」のなせる技であると思います。>KISHIKOさん
エイジ
2007/06/10 11:27
変な従業員遭遇率はこっちにいて
よくあります。大体が男子従業員の
馬鹿率が高いので、大体「女子従業員
と代われ」ですんでしまいます(この国の
女子は賢いし働き者)。南国は得てして
女性と男性のスペックが大いに違いますので。

でも変な奴遭遇率はどの国にいても一緒
ですね。これの制御はまさに難しい。

そういう意味では牢名主様の対処法は正に至言。
これだと不要のストレスを受けることも
ないでしょうし、その不当な相手に心を委ねる
(怒りすらも相手に心を委ねている状態)事も
ないし、かっこいい。

ゴーダマ・ブッダも
「怒った人に対して怒り返す人は、
悪を為す事になるのである。怒った人に対して怒らないならば、
勝ちがたき戦にも勝つことになるであろう」
と私たちを励ましてくれてます。
変な輩と一緒の土俵に立つ必要ないですからね。(続く)
どーまる
2007/06/10 11:30
(続き)
でも実際に殴られると痛いので、とりあえず暴力にあったら
後ろに下がらすに横に廻り込むようにすれば攻撃は空振り、
痛くないっすよ。相手を冷静に観続けることが出来れば
出来るようになりますよ(合気道やってる人が周りに
居れば、コツは教えてもらえますよ)。

でも実際に不当な輩に遭遇すると、ご飯もおいしくないので、
イギリス人のように、お馬鹿ではわからないような皮肉を、
その場でそいつにいってやるとストレスフリーっすよ。

それより、わたしたち「○ンポ祭り復興委員会」としては、
そういう輩には「お前なんか御チン○様の御神輿かつがせて
やんねー」とか「ご利益うけられずに一生、バイアグラに
頼るか不感症のままだよ、おめえ」って感じでブツブツいってやりましょう
(本題は前回の続編ですよね?え、違う・・・???)
どーまる
2007/06/10 11:33
健全だと思います。
サンタママさんは、刃物を振り回すことはない人です。

今回の設定は「言い返せない状態での仕打ち」なのであります。

たとえば、デズニーランドで、掃除をしてる人の目の前でタバコをすぱすぱ吸ってポイ捨てする男がいました。
掃除人は黙って掃除します。
もしかしたら、その男は、奥さんと喧嘩して怒っているのかも知れないし、デズニーランドのミッキーが握手してくれなかったから怒っているのかも知れません。
しかし、掃除人には関係ないのですよね。
あの状態で、黙って掃除ができる人はどういう思考回路なんだろう?と思います。
これこそまさに「マイノリティ意識」のなせる技ではないか?と考える訳です。>サンタママさん
エイジ
2007/06/10 11:36
うーむ。ご提言のとおり、
「怒った人に対して怒り返す人は、悪を為す事になるのである。怒った人に対して怒らないならば、勝ちがたき戦にも勝つことになるであろう」
といった仏陀の実践的な方法論ですね。
というか、かなり我ながら低レベルな対処ですけど(汗)

まさに、マネージャーとして、どーまる様の怒りは「理不尽な仕打ち」以外のなにものでもありませんよね。
マネージャーこそ、「マイノリティー意識」が有効な立場でしょうね。
だって「言い返せない状態での仕打ち」ですものね。

暴力に対しては、うしろに逃げるのですね。
これも力のあるものの知恵ですね。美しいです。>どーまる様
エイジ
2007/06/10 11:51
あ!
暴力に対しては後ろに逃げずに横に回りこむ ですね。
強さを感じます。美しいです。>どーまる様
エイジ
2007/06/10 11:54
僕は,立派なマイノリティです。
だって,新自由主義華々しい時代に背を向けて,貧しきを憂えず,均しからざるを憂うとのたまわっているのですから。

こころの中のダメ出しは,どうかなあ。
僕だったら,距離をおいて,近づきません。
bara17
2007/06/11 11:07
法曹界に属するbara様にとっては、私の対処法など
子供だましでしょうね。
実際に人間の裏も表も見つめておられる訳ですからね。
腹が立つという根拠さえ違うでしょうね。
まだまだ私は人間界において経験が足りないと思います>bara様
エイジ
2007/06/11 17:56
これってまさに先週末の私のことですね〜(汗)。
確かに被害者として話してましたが、相手は非常に卑屈な態度でしたね〜。
逆切れされたときにはさすがにシラーとした空気で話してしまいました。私の最後の言葉は「結構です!もうお宅にはお願いしませんから〜」と知らん顔で通しましたけど・・・。
う〜ん、毎日が修行ですね。でも私、そこまでの人間にはきっとなれませんわ。
レセママ
2007/06/12 10:18
そうなんですよ。
自分ではできないことをできちゃう人を知ることは
勇気が得られますよね。>レセママさん
エイジ
2007/06/12 18:05
こんばんは。
前回の続きなんですか?
よくわかりません(>_<)。
社長に理不尽な要求をされる事が多い私は、
最近会社のトイレ掃除をしております。
おかげで会社のトイレはきれいになりました!(^^)!。
キレて怒るのは簡単であります。
が、しかし怒らずに冷静に受け流すことは
相当難しいのであります。
尊敬する人物である鍵山秀三郎氏の言葉。
凡事徹底
これに尽きますね。


しまじろう
2007/06/12 21:05
し..しまじろうさん!
スゴイ人です!
アナタは必ず成功されます。

僕も鍵山さんの話でね。好きなのがあるんですよ。

「人間は、自分を取り巻いている境遇に強いられしところにより、事を行えば、そのことは必ず成功する」
やらなければいけない境遇に強制されて、つき動かされ信念を持って物事をやったときは必ず成功する。って話です。やはり全てに感謝なのですよね。>しまじろうさん
エイジ
2007/06/13 00:51
「トイレ掃除」って、成功の入り口ですよね。
風水でしたか、どうだかわかりませんが、
「トイレ掃除を率先して行う人は、必ずや成功する」という本が出ていますね。しまじろう様、頑張ってくださいね。
KISHIKO
2007/06/14 16:59
そっそ。

特にすごいのは「会社のトイレ」ということです。
なかなかできない荒業ですよね
エイジ
2007/06/14 18:07
私は離婚した後に付き合った人と別れ、そのあと何にもする気がおきなくて
しばらくの間、バイトしながら就職活動してました。そのときに感じたのは
マイノリティでも、才能があったり、引きこもりがちでもすごく仕事のできる人もいるってこと。仕事の内容がきつくても、ひたむきに頑張っている人のもつ説得力は、人を動かすものです。
喧嘩だけなら誰でもできる。でも、受け止めて賢く立ち居振舞うことは、
誰にでもできることではありません。
私も、日々葛藤。むかつく気持ちを抑えながら仕事するときには、
仕事の後のカラオケが必要です。
NORI
2007/06/22 23:54
私が問題と考えるのは、人の言葉によって「自信」を無くすことです。
たとえ相手の指摘が正しいとしても「反省」はしても「後悔」はしないほうが良いと考える訳です。
「怒り」の感情の中にきっと「悲しみ」があると思うのです。その悲しみが心を酸化させていき自信喪失にならない限り、なにも怖れることはないのだと思う次第であります>NORIさん
エイジ
2007/06/25 01:20

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