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zoom RSS 古代ローマの繁栄と衰退の原因

<<   作成日時 : 2007/05/04 18:06   >>

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昨年、塩野七生が15年書き続けた「ローマ人の物語」を完結した。
この物語は、なぜローマ帝国がながい間平和を実現できたのか?
古代ローマだけが興隆した後の数百年もの間、安定成長を続けたのか?
この疑問を研究する目的で「ローマ人の物語」の執筆が始まったそうである。
以下に読後の感想を書きたいと思う。


■ローマの長期繁栄の秘密
広大な地域に数百年の間戦争が無かった奇跡の秘密が、この大作の最終章に書かれている。
塩野によれば、ローマ平和の理由は「ローマ人の基本道徳十一項目」にあると言う。
それはいわゆる「勤勉・節制・敬虔とか」いわゆる道徳律である。
ローマ人の考えていた道徳とは、あらゆる自然現象を解明し、自然の働きの中に神の意志を学び、自然の摂理に沿った生き方をすることである。
即ち、平和な時代のローマ人が大切にしたのは、「自然の摂理に従った道徳の実践」であったのである。「自然の摂理に従った道徳の実践」こそローマ繁栄の秘密であった。

これは、100ドル紙幣の肖像画で有名なアメリカの英雄ベンジャミンフランクリンの唱えた「フランクリンの十三徳」があるが、ベンジャミンの思想と同じであるように思う。




■ローマ衰退の原因
さて、これほど繁栄したローマが衰退した理由を、塩野は「キリスト教を受け入れた為である」という結論に達した。
読者はここで疑問に思うであろう。
キリスト教こそ、現代の最大な世界宗教でないか?と
では、キリスト教の性質の中に「平和を乱す」危険性があるのはどの部分をいうのであろうか?


キリスト教を受け入れた為に平和がうち崩され、内乱が始まった理由は、それは、キリスト教が間違っているという理由ではなくローマ人が「道徳」を捨てて「信仰」を尊んだ故であると思われる。

信仰とは「親よりも仲間よりも神を大事にすること」であり「社会正義よりも秩序よりも神の言葉を大事にすること」である。

「秩序よりも神を大事にする」という思想は、キリスト教だけでなく、イスラム教も仏教も同じ危険性を持っているといえましょう。
いわば宗教の性質である。
しかしながら、社会正義よりも、神との契約を重んじることは、テロリスト達だけではなく、すべての人間にとって自己正当化の方法として好都合であろう。

神の意志よりも秩序や正義を重んじる道徳は、そうはならない。
なぜなら行動価値基準が「神との契約」ではなくて、「社会秩序の維持」であるからである。

この自然の摂理や道徳を軽んじ、「神」のみに直結し、神を道徳よりも優先する思想こそ、平和を乱す原因なのであります。



■宗教的に生きるとは信心である。
宗教的に生きるということはどういうことであろうか?
「信仰」に生きることは宗教的に生きることになるのであろうか?

ここで「信仰」と「信心」について考えてみよう。

「信仰」とは絶対的な神を信じることであり、神の力によって幸福になるということである。
常に幸福を与えてくれるのは、個性化された神であって、いくら間違ったことをしても神が許せば許されるのである。

「信心」は神を信じる故に自分の行いを正し、道を守るゆえに神の祝福を受けられるという宗教的道徳心である。
信心にとって、幸福を与えてくれるのは個性化した神ではなく、己の行動の結果である。
いわば、「因果の結果」であろう。
己の行動結果がよければ神の祝福があるのであるが、いくら毎日お祈りしても行動がワヤならば幸福は与えられないのである。

私達が真に宗教的な生き方を選択し、平和と繁栄を享受したいのならば、信仰よりも信心を大切にしなければならないのは歴史が証明することであります。
しかしながら、人間は楽な信仰を選択し、困難な信心を捨ててしまうのである。

恵まれたことに日本人は、信仰と信心の区別が明確でない。
そもそも日本人は、自然を崇拝するアミニズムの神道を捨てていない故に「信仰」よりも「信心」を大事にする民族である。

いわば、自然の中に神を見ることではなく、絶対神が自然を作ったという思想こそ、「信心」から「信仰」への思想に繋がるといえましょう。

日本でキリスト教の布教があまりうまくいかなかったのはキリスト教が「信仰」を説いたのに対し、日本人は「信心」だからだ、と中沢新一が言っていましたが、そのとおりなのです。
だから日本は、世界から奇跡の国といわれる程、他国に比べてローマ帝国のように割合、国内が平和で安全なのだと考えられる。


■日本はパンドラの箱
世界はアミニズムを見直すべきである。
信仰よりも道徳を見直すべきである。
一神教は多神教よりも優れているは思えない。
神は自然の法則の中に生きるものであると知ることである。

しかし、現実には砂漠で生まれた一神教の強さに、森で生まれた多神教は負けた。
中央アジアにあった多神教である拝火教がイスラム教に根絶され、インカ文明もキリスト教国家スペインに負けて、カトリックになった。イヌイットもインディアンもケルトも同じように砂漠の神に負けた。
まして多神教の国は日本を除いて後進国ばかりである。

しかし、これは一神教に正義があるという根拠ではない。
一神教が多神教よりも正義であるという根拠でもない。

多神教の日本が唯一、先進国であるのは奇跡でもあるが、この日本こそ最期のアミニズムのパンドラの箱にならなければならないのである。
なんか無理っぽい感じがしますけれども、実際にはそこのところが大事なんですね。

個人的は、私達は価値基準が「信心」よりも「信仰」に陥っていないか?
キリスト信者でもアラー信者でも仏陀信者でも、「信仰」になっていないか?
を問題にしなければいけないのでありましょう。



以上、「ローマ人の物語」の読後の感想である。




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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
今回は、宗教ガラミのお話でしたね。ローマの衰退が「キリスト教を受け入れたから」というのは、非常に面白い解釈だと思います。
ただ、理屈としては体験からも分かる気がする。
以前、今は疎遠になった熱心に宗教活動をしている友人がいて、こんなことを言っていた。「疑ったらアカン、まず信じることから入らないと」
非常に危険な考え方だと思う。結局彼とは分かり合う事はなかったのだが、その考えが正しいかどうかを疑う余地すら与えない信仰というものは、イカガなものか?と考えてしまう。
rikky
2007/05/04 21:08
疲れた頭には辛い内容でしたわ(T_T)
神様や信仰を人間が都合のいいように利用する為に宗教と言うのがあるのかも知れませんね。
ちょっと前の日本がそうだったように・・・。

サンタママ
2007/05/04 22:21
「信仰」と「信心」のちがいをはじめて考えさせられました。
日本人には区別が曖昧と書かれているように、言葉にするのはなかなかむずかしいですね。
わたしの場合、「因果応報」とか「お天道さんが見てはる」という感覚は
、あまりにも自然すぎて、それが宗教だとか考えたことも無かったです。
「秩序よりも神を大事にする」というのはわたしには理解しにくい。
秩序(自然の摂理、ものごとの道理)が神、神という言葉はしっくりこないんだけど「神さん」であり、それ以外に神をイメージすることができないから。
五紋
2007/05/04 22:39
仏教(スッタニパータ)は、哲学だと思います。
キリスト教、イスラム教…は、バイブルやコーランを紐解いたことも無く歴史も知らないけれど、現状から抱くイメージは合理的な思考を放棄させる「しかけ」として支配者に利用されているという感じです。
そういう意味では、仏教とは正反対です。
適菜収という人が出した『キリスト教は邪教です!』(F.W.ニーチェ『安置クリスト』現代語訳)は、楽しい本でした。

さて、塩野七生の『ローマ人の物語』は読んでないのですが(彼女の著作は好きで5,6冊は読んでますが)、なぜ賢明な道徳心の篤いローマ人がキリスト教を受け入れたのでしょうか?

エイジさんは、関西人ですか?
「ワヤ」って、結構コアな関西弁ですよね!?
もう全国区なのかな?
五紋(つづき)
2007/05/04 22:39
『信仰』と『信心』
なるほど、うなずけます。
キリストや釈迦の教えが人々にどのように浸透し、後世に伝わったかについて、神化した今となっては、まさに神話化してますので分かりませんが、
人は生まれると同時に、多くの苦行を背負っているわけですから
この個人的苦しみを解消するための指導者を求め、社会的秩序・統制のために人々を支配しようとする者は、人の心を支配する手段として宗教を利用することを考える。
この『指導』と『支配』も使いよう ということでしょうか。
身近な(下世話な)例として、『人々の幸せのため』というスローガンは共通なれど、それぞれの立場・思惑によって、多種多様な政党・派閥を作ってケンカしている政治家に見て取れるかも。
カラス
2007/05/04 22:52
rikkyさん おはようございます。
私も塩野七生の解釈はスリリングです。
「信じること」は大切ですね。
「信心」とは「疑う」ことではなくて、
行動を宗教的に生きるということだと考えています。
しかし、やみくもに信じるという背景には、「利己的な利益」が動機にあるゆえに「信仰重視」の邪教に迷うのかも知れませんね>rikkyさん

権力者は宗教を政治に使いますね。
商売でも都合のよい情報だけを使うし
マスコミも大衆が興味にあるないようしか報道しない。
問題は子育ての情報や教育の情報が誤っている場合ですね
正しさを証明するのは理論ではなく、歴史なんです>サンタママさん
エイジ
2007/05/05 09:42
ちなみに私は東海人(岐阜)です。
五紋さんは京都どすか?
よろしくお願いします。

ニーチェの神は死んだ理論は、一種の「超人志向」であり仏教の「即身成仏」のようでありますが、根底はまったく違うように感じます。
というのは、ニーチェには「自然の中で生かされるという真理」がなく
「頑張って自然を超越しよう」という非現実的な悲壮感しかない。
しかしながら、ニーチェの強さには心打たれますよね。

あと仏教ですが、ご指摘のとおり哲学的な面があります。
しかし、宗教とは救済に意味があるわけで、哲学的であるということには実際は価値がないのです。
聖書の中の哲学部分は「隣人愛と神への愛」しかないし、仏教でも法華経に至っては「例え話と法華経を信じる功徳」しか書かれていないとも考えられるわけで、仏教が哲学であるのは初期の経のみであります。
イエスやブッタの言うように、本当は「信仰」によって救われるしかないのであります。
問題と考えるのは、「信心」を支える「信仰」であるべきなのに
「信仰」すれば救われるという「信心」を捨てた宗教は危険であるということでしょう>五紋様
エイジ
2007/05/05 09:58
まさしく、かなさんの指摘どおりに、世界は争いの渦中にあるのです。
もしも、「道徳」が普通ならば「道徳」という言葉さえもないわけです。
「殺人」がなければ「殺人」という言葉がないようにね。
つまり、絶対的な神が存在したという教えは、絶対的な悪が存在するという意味でもあるのです。
その言語の欺瞞性によって人は争うのです

うーむ
バベルだな。だから神は言語をバラバラにしたのかも>かなさん
エイジ
2007/05/05 10:03
塩野女史、とうとう言い切ってしまいました。やるなぁ、素敵だ。

彼女の別の本では、ローマが本当に破滅に向かったのは
五賢帝最後の皇帝、マルクス・アウレリウスが世襲に
戻したからだともおっしゃってました。
映画「グラディエーター」の時代の皇帝で、
息子コモドォスに暗殺される皇帝。

もっとも彼女の場合、彼がかなり嫌いなようで、
たぶんに偏見もあるかもしれませんが、実際に
他の本をみても彼以降から衰退が始まったと
書いてるのも多いので案外事実かも(じつは
わたしも彼が嫌い)。

結局、皇帝=人間の理想形態、に夢も希望も
なくなって、キリスト教のように断言的な
ものに縋り付いて、結局、人間の徳目を
忘れ去ったってのが流れなのかもしれませんね。
どーまる
2007/05/05 11:34
京都の西陣織の本家は代々、世襲せずに養子が社長になるという家訓があったそうです。
歴史を見れば、社長の世襲制もよくないようですね。
やはりその理由は、社長たるもの社長の器量が必要であり、その尺度が血ではなく個人の「道徳性」ではないか?と考える訳です。

マルクス・アウレリウスを含めた五賢帝はキリスト教を排除した哲人達であった訳ですが、ローマ貴族の堕落と比例するようにキリスト教の信者が増加していった訳ですね。
その堕落した社会を更正させる為に、従来の神を捨ててキリスト教を国教としたのかも知れません。
カントがいうように哲人政治こそ理想の政治形態であったということでしょうね>どーまる様
エイジ
2007/05/06 01:05
無知な私はまず、「塩野七生」を検索・・・おぉ、女の人だ*・・*

古代ローマの繁栄と衰退の原因がどこにあるか。自然の摂理に沿った道徳の実践がなされているか否かのところだということのようですが・・・
私が小学生の頃は、授業にも道徳の時間があり、思いやりや慈愛の心を学んだように思います。困った人がいれば助け、恩を受ければ感謝するという事は当たり前のことでした。もちろん人を困らせたり悪い事はしない。そうして自分の周りの人(傍の人)が楽なように働く(傍楽)。それが幸せだと・・・・・
エイジさんの論説から外れているかもしれませんが、この記事を読んであらためて思い出させていただきました。
みどり
2007/05/06 16:31
お久しぶりです。
2,3日前のBSですが,陸のローマが滅び,海の大英帝国が滅び,現代は,空の合衆国が支配しているとの報道に接しました。
空の帝国である合衆国が崩壊するのも,歴史の必然であり,それは宗教とは無縁なのではないかと考えます。
銃規制の失敗で崩壊しようが,他国侵略で崩壊しようが,合衆国の勝手ですが,敷島の大和の国が無理心中しないように願っております。
bara17
2007/05/06 20:23
その「あたりまえ」があたりまえでなくなってしまう動機を与えるのが「信心」の無い「信仰」なのでしょう。
信仰は常識の壁を超えさせてしまう力があるのです。

では、信仰は必要で無きか?といえばそうではないのです。
信仰が無いと信心ができないのです。>みどりさん

baraさん おひさしぶりでございます。
確かに。文明の繁栄と衰退は宗教とは無縁かも知れません。
しかし、文明が衰退する時、文明が繁栄してる時
その状況において、宗教は関係なくてもなにかしらの共通点はあるものと思われます。
塩野さんは、その共通点を「人間の道徳性」と考えたと思われます。
日本も天皇制が消滅した時に、神道が滅び、国体が滅びる危険性はあると思います。>bara様
エイジ
2007/05/08 00:46
病み上がりの私には何もコメントできません。            だそうです。お久しぶりです。息子です。
最近「逆説の日本史」(井沢元彦著)に手を出しまして。
ただでさえ日本史わかってない上に、あのようなものを読むと
もう何がなんだか。んで、そこに絶対神とかいうキリスト教の考えが挙げられまして。それによると神の命令を寸分違わず実行する事が正義であって、旧約聖書のヨシュアのようにエリコ、アイの町を女子供まで悉く皆殺しにしても、それが神の命令である以上はそれは正義として成り立つ。善悪は人が考えるものではなく神が考えるものだ。というものだそうです。
人の手で長らく善政を行っていたところに、絶対神という考え方が入ってしまった事により古代ローマは滅びた・・・のか?
えー、ローマとは関係ないですが、今年より世界史とか言う訳のわからん授業が追加され。去年までは無かったらしいんですが・・・(汗
いかんいかん。年号なんて無理無理。乱文、長文失礼しました。
レセママの息子
2007/05/09 20:43
おおおっ!
はじめまして。
解釈されるように「人の手で長らく善政を行っていたところに、絶対神という考え方が入ってしまった事により古代ローマは滅びた」のであります。
逆にローマ人が堕落した為に道徳を実践できないゆえに、安易に宗教に救いを求めたとも考えられます。
旧約聖書のヨシュア記こそ、砂漠の神の恐ろしい一面を余すところなく描写しています。
おおよそ、森の神を信じる多神教では想像できない世界ですが、仮に神の性質から分類すれば、ヨシュアの神は「雷神」の類だと思われます。
ただ、旧約聖書に出てくる神の名が「エホバ」「ヤーヴェ」「ヒロイム」の三種類あり、性格も異なるので、イエスの信じる神がこの三神の一人なのか?それとも違うのか?は議論されているようです。
ただ、イエスの信じる神の本当の名前は、この三神のどれでもないという一派もいます。>レセママの息子さん
エイジ
2007/05/10 18:09
無宗教、有神論者なのですが、、、、
宗教やその団体に対して本能的に拒否反応してしまいます。

信仰している人々が、信じてるものに対して
絶対的で妄信的 揺らぎがない
まるで自分で考える事をやめて神様に依存してしまったのか?
と思えるくらい集団暴走することがあるからです。

絶対唯一の神を信仰する集団 
キリスト教やユダヤ教には争いが絶えませんものね。


それにしても、信仰より信心 
<日本はパンドラの箱>の考察は、
2011年の今の日本に提言すべきとても意味のある内容ですね。

これ四年前に書いたんでしょ?
先見の明ありますね、
いつものことながらエイジさん。

ららあ
2011/06/05 13:39
2011年になってますます日本がパンドラの箱であるという想いが強くなって来ましたね。
日本は3度も核によって敗戦したのです。
これはすごい偶然です。
エイジ
2011/06/17 01:01
お書きになったときから7年も経ってのコメントです。ツイッターでリンクされていたので入ってきました。ローマ人―信心から信仰へ、なるほど。ちなみに道徳といえば、東洋の代表的思想としての孔子の儒教があり、現代にいたるまで長く東洋人の思想に影響を与えています。日本はこの儒教をつまみ食い的にそれぞれの時の権力者が利用する程度ですが、儒教発祥の国中国や、国教として500年の長きにわたって社会基盤の根底を儒教としたお隣の国の歴史を俯瞰して、司馬遼太郎は「体制としての儒教は悪いもの」と言いきっています。儒教が体制となった時、必ず必要になるのが官僚と登用制度ですが、それが常に身分の固定化と政治腐敗と表裏になっていく、というのが大まかな論拠でしょう。道徳もまた、道徳自体が宗教化すれば、これほど恐ろしいものはない、ということでもありそうです。いずれにせよ、自然や宇宙との対話というなかから、やみくもに自己放棄せずに、人間が自分の姿を鏡にうつしてみようとし続けることが平和と幸福のために必要なプロセスであるという気がいたしました。
Kien
2014/03/09 19:20

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