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zoom RSS 困難の対処方法を考える

<<   作成日時 : 2006/11/03 21:37   >>

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いろいろな問題に出会ったとき、物事の対処方法には人間社会には3つあると思われる。

「闘う」

討論し議論を闘わせ相手を納得させて、もしくは屈服させて乗り越えるという方法

「逃げる」

上司とは反りが合わない。社長が嫌いだ。気に入らない事を解決せず、自分から問題を放棄し辞めるという方法。

「我慢する」

ひたすら相手の暴挙を我慢し、じっと涙にむせび耐えるという方法。
いつか復活の日を信じて。

対人心理学で、この中でもっとも良い対処法と言われるのが「我慢する人」なのです。心理学では「人に好かれるには、決して論争するな」と教えます。
しかし、確かに「じっと我慢」は尊いかもしれない。
「闘う」ことは勇気があるかもしれない。
「人を傷つけずに逃げる」のは慈悲の行為かもしれない。
しかし、どの方法も、どれも心に無理がある。心が窮屈である。
無理してる対処法だと思う。
故に、強い心で闘う人でも、もっと強い相手だと心が折れるであろうし、相手を傷つけない逃げる人は、もっと困難に追いかけられるであろう。
我慢する人は、動脈硬化や癌になるかも知れない。

ここで、第4番目の対処法がある。

「気にしない」

いわゆる「I don’t mind」。「気にしない。気にしない。」という対処法です。これって逃げではないか?と思う人もいるかも知れないけれども、これは逃げではない。どちらかと言うと「我慢する」の進化型であり、ポジティブな我慢なので、動脈硬化にはなりません。
いわば「のれんに腕押し」という対処法ですが、この方法は、じつに多くの利益を生活上で得られるでしょう。インドのガンジーの非暴力非服従もこの方法に近い対処法である。

さて、仏教の釈迦は、第5番目の対処法を教えていますので紹介しましょう。
ちなみに、ここから先は宗教的な話になりますので、論理的ではありませんし、説明できる類の話でもありません。
ただ聴いて下さい。

「気にならない」

これは、「どこにも問題は存在しない」という姿勢です。
たとえば、「お前は不誠実だとみんなが言ってるぞ」と言われたとします。
「そうか俺は不誠実だと思われているんだな」と思う訳です。
もし、胸に手を当てて「確かに不誠実な行為があったな」と考えれば事実なので腹も立たないし、反省する訳です。しかし大事な事は心が傷付かない事です。
「どう考えても誤解だ」と考えれば、事実でないから問題にならない訳で、腹も立たない訳である。しかし、無抵抗という訳でもない。もしも嫌がらせなら抗議したりする事もありますが心は傷ついていない訳です。

モノは考えようって事か?と思われやすいですが、実は、この「気にならない」という境地は、心がものすごく強くないと出来ません。
なぜなら、象が蝿を気にならないように、対象よりも絶対的に強くなくてはいけないからである。
例えば、客観性の無い忠告とか噂話は、相手をやっつけてやろうという作為的な意図がある場合があります。悪意がある場合、じつに巧妙に仕掛けられた罠の場合もある。
どんな場合でも「気にならない」という境地に至るには、「ダイヤモンドのような傷が付かない挫けない心」でありつつ「鏡のような澄んだ心」を合わせ持たねば為りません。

そして、もっとも凄い力は、「ダイヤモンドのような傷が付かない挫けない心」でありつつ「鏡のような澄んだ心」を合わせ持った人には、もはや問題発生しうる心の隙が無くなると、釈迦や空海は当然のように、しかも簡単に語る訳です。
それは、ちょうど釈迦を殺そうとしたダイバダッタが何度も失敗するように、又、心に金剛を獲得した亜羅漢には、もはや誰にも傷つけられる因が消滅しているようにである。

いわば、心を強くする事による効果効能は、ドラゴンボールのスーパーサイヤ人に進化する事であり、スーパーマリオ状態に為れるという事である。

という訳で、私は、どうせ生まれたからには、スーパーサイヤ人の境地を一度は味わってみたいっ!などと夢想してる。

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日本ではまた最近いじめ問題が深刻なようですね。インターネットで日本のニュースを見ますが、いじめの文字を見ない日はないような気がします。いじめで失われる命がなくなることを祈りたいです。そして、いじめで傷つき傷つけあった心一つ一つが救われることを願います。 ...続きを見る
もっと学ぼうニッポン:ブログ時代の日本語...
2006/11/13 16:08

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コメント(26件)

内 容 ニックネーム/日時
途中まで「ふむふむ、ふむふむ」と読んでいたんですが、だんだんとワケがわからなくなってしまいました…特に最後の3行!ですね
シーラカンス
2006/11/03 22:03
どれも ケースbyケース なのだろうけれど

何事にも屈しない強固な精神は理想だけれど

対外的に問題が発生したとすれば、それは自分の中だけで解決できることではないわけで、「気にしない」「気にならない」処置法が、外への対処法ではなく、ひと山越えた自分が前向きに前進するための心の持ち様であるなら、悟りとしてあり得るかもしれない。
よく我々は、くよくよ問題を引きずっていると、「気にすることないよ」と言います。
それは、気にしても何も始まらないから、キリがないからってことで言うことが多いです。
それを言うときは、どうしようもないからなのです。
外への対処法と、自分の気持ちのバランスをうまく取れることが理想的なのでしょう。
それができないと、山に籠もって仙人になるか、犯罪者になるか、廃人になるしかありません。
スーパーサイアジンですか、ずっと戦い続けて最強になったのでしたかね?
あまりに長く戦っていたので、忘れてしまいました。
かな
2006/11/03 22:32
う〜ん。お説御もっとも・・・ですね。
でもなかなかその境地に至らないので人間なのであるとも言えるかな?と…
「気にしない」というのは難しいですよね〜(^_^;)
サンタママ
2006/11/03 22:36
第四の対処法は、私には絶対ムリだわ。
もう、「気になって、気になって、気になって」しょーがなくなるんです。
だから第五もムリ。
aki
2006/11/03 23:27
私には1歳になったばかりの娘がいるのですが、両親と躾けの話しをすると必ず「我慢する事を教えないといけない」と、言われます。
我慢ばかりさせるのもなぁ…とか、時には戦わないとなぁ等と、悩んでいます。
「気にしない」いいですね〜。
どんな風に接していくと、そんな子になるんでしょう?そんな風に生きていけたら本人も楽だろうなぁ。
自分が出来ない事を、子供に教えるのはなかなか難しいですね。
piro
2006/11/04 03:07
どれも必要だとおもいます(゜-゜)!!問題は、どの場面でどの引き出しを開けるか!ですね〜・・。
スーパーマリオかぁ〜!人間社会にも[☆]があるといいんですけどね〜〜
万千ママ
2006/11/04 16:16
「気にしてないから」と言う人ほど気にしてる気がするし、我慢する人のほうがずっと強くて、闘う人ほど実は弱かったり・・・。
『気にならない』そんな心境にたどり着くまでには、いったいいくつの困難にぶつからなければならないのでしょう?
レセママ
2006/11/04 17:28
ふと思ったのですが・・・
スーパーサイヤ人ですよね。
サンタママ
2006/11/05 14:35
なに! わからんと?
では、追加説明しましょう。
スーパーサイヤ人は、漫画「ドラゴンボール」に登場する孫悟空やべジータなどの戦闘民族サイヤ人が、戦闘力上昇のために変身した状態の事をいいますが、変身といっても、満月を見て変身する時の様に体格が極端に大きくなったり、獣のようになったりするわけではなく、覚醒によって潜在能力が開花した状態です>シーラさん

うむ。
この「気にしない・気にならない」という状態は、精神衛生上の話ではなく、「困難に対する捉え方」に起因していると思われます。
たとえば、「困難は身に覚えのない受難」と捉えるか?
「困難は自分が招いた必然」と捉えるか?
「気にしない」という態度は、「困難は自分が招いた必然」と考えることにより、初めて、心に実現できる心境だと思われます。仮に、「困難は身に覚えのない受難」と考えれば「気にしない」はただの思い込みとなり極めて不安定な心境になります>あやさん
エイジ
2006/11/05 15:07
はい。
「気にしない」という境地は、「困難は自分の間違った所を教えてくれる黄色の信号」と考えることが前提の上に初めて達成しうる境地であって、「困難が身に覚えのない災難」と考えていては到達しない境地のようだ>サンタママさん

たとえばね。
高所恐怖症だとします。
高い所から下を見たら、「心臓バクバク」「落ちたら死ぬ」でパニックになる訳ですが、高い所から落ちたら死ぬかも?が引き金になってるのです。
だから、高い所が怖い訳じゃない。
落ちたら死ぬ という妄想が恐怖になってるのです。
その「高い所から下を見ると怖い」のは自分のイメージなんです。そのイメージを「気にしない」と追い払うのである。>akiさん
エイジ
2006/11/05 15:18
この答えは非常に深いのですよ
「我慢」は良くない教えなんですね。でも大事です。
「我慢」するのではなくて「当然」と考えられるようにするのが大事です。
たとえば、道を走っていたら信号が赤になりました。
車が止まる。そのとき「俺は信号が赤なので止まってやった。我慢だ我慢だ。」と考える人がいますか?
止まるのは当然で、止まる事を我慢と考えるのは、「エゴ」や「我が儘」ですよね。
そういう我慢は教育が必要ですが、他人のエゴや我が儘を容認する我慢は、罪悪です。>piroさん

時と場合によって、対応は使い分ける必要があります。
でも、困難に対する方法で、もっとも大事なのは、対応する自分の心を「怒り、焦り、恐怖」の感情で曇らせないことですね。心を強くすることだと思います。>万千ママさん
エイジ
2006/11/05 15:29
気にならない境地に至るには、やはり数多くの涙を必要とされると思います。
それは、どうしようもない場面に遭遇して、初めて自分で気づくよりは、先哲の賢人達の言葉を学習して未然に防ぐことがもっと大事だと思います。
たとえば、食の教育のように、知らないと、自分勝手な思い込みが正しいと思ってしまうのです。また知らないままに、自分の子孫や家族に影響が出て初めて気づくのですね。
倫理や心理学もその道案内と考えるといいかもです>レセママさん


スーパーサイヤ人でした。
直しておきます。ありがとう。>サンタママさん
エイジ
2006/11/05 15:37
色々な見解がありますが、ただひとついえることは、
今、この時点で、苦しみの渦中にいる人が日本中で、血の涙を流している・・・
今、まさに、自分で自分の命に手を掛けようとしているかもしれない・・・

そういう生々しい現実の前では、今回の「言葉」の羅列が非常に空虚に感じます。

思うに、今、苦しんでいる人々は、ひょっとして、ほんの少しの偶然の悪戯で、私だったのかもしれません。

苦しみを、私の代わりに 引き受けてくれているのかもしれない。
KISHIKO
2006/11/05 20:06
確かに、現実の問題の前では様々な要因が考えられ、言葉では決してすべての人を救えないでしょう。
場合によっては空虚な言葉かも知れません。
100人の場合があれば、100人の対処があるでしょう。
しかし、私は私の考えを発信するのであり、私以外の人はその人の考えを発信するでしょう。
私はただ一人の人の心に届けば良いと考えて自分の考えを発信しているのであります。>KISHIKOさん

エイジ
2006/11/05 20:38
気にならない、傷つかないお話、とどいていると思いますよ、エイジさん。
ヒロシ
2006/11/05 22:09
揺るがない確固たつ自分が確立されていれば、周りが何を言おうと気にならないんだろうなーっていつも思います。まだまだ修行中。悟空も最初の頃はすっげー怒らないとスーパーサイヤ人になれなかったでしょ?あの辺まではいってるかなーと思う時はたまーにあります(orただキレテるだけか???)。
ruri
2006/11/05 23:44
エイジ様の発信については、なるほどと唸る点が確かにありますが・・・

※これは私の、ブログの行間から感じた、個人的印象なのですが・・・

今回は、対象とする相手に「生身の人間」という捉え方を余り感じられないのです。
記号化されて、方程式のような分析に、何か、肌寒さを印象付けられてしまいました。ひとえに、私の感覚の部分かもしれませんけれど。

いつもエイジ様の言葉の行間に、命に対する深い尊敬と、他者に対する慈悲深さを大いに感じ、尊敬の気持ちを持っております。

・・・が、今回のテーマにつきましては、少し違うかな・・・と感じています。
というのは「心が強い」という言葉の、捉え方に違いを感じています。

簡単なようで、これは非常に解釈の難しい言葉だと思います。
KISHIKO
2006/11/06 01:23
初めてコメントさせて頂きます。このブログに励まされる事が多々あり、エイジさんの発信に日頃感謝をしておりました。いつも有り難うございます。

私はこのお話、とてもよく分かりました。現在わたしは人生の方向転換中でして、本来心の弱い自分は、常に意識して心を強く持つように奮い立たせないと不安と孤独で潰れそうな毎日でした。

でもピンチはチャンスですよね!泣きたくなると、この言葉を呟いて自分に集中し、自己成長を信じて挫けないようにしています。そうすると、自分を保つ事や前へ進む事に誠意一杯だからか細かな事が気になりません。今まで何でそんな事を気にして傷ついていたんだろう?と思うほどに。実際は気にしている余裕さえないってだけかもしれませんがね。。。


現在私はアメリカに住んでいるのですが、多くのアメリカ人がスーパーサイヤ人な気がしています。繊細さ故に涙して得た強さというより、大雑把で楽天的な強さという感じですが。理由は何にしてもサイヤ人には変わらないので、私も気にならない精神で、自分に負けないように頑張ろうと思います!




rie
2006/11/06 06:43
KISHIKOさんの、今回のテーマにつきましては、少し違うかな・・・と感じています。というのは、正しいです。
しかし決して記号論ではありません。
今回のイジメについては、怒りで書いています。
なぜなら、お話しなければならないこと。
実は、私は小学生の頃に、友達が上級生から激烈なイジメにあっていたけれども、怖くて助けられなったという体験があるのです。
その後悔と自責の気持ちは、今も癒えないのです。
思い出すのも嫌なんです。
そのイジメは、現在、テレビで騒いでいるよりも、もっと卑劣で、悲しいイジメでした。
イジメの原因は、「母親の葬式の時に、笑っていた」というのが原因なんです。あくる日もあくる日も、その友達はひどい方法で苛められていました。
アメリカ兵のイラク人捕虜へのリンチみたいなもんです。
エイジ
2006/11/06 18:19
幼い僕は知りました。
親や先生では、決してイジメをやめさせることはできない。

その原体験が私の体に染み付いていて、私はイジメに対してある面、慈悲とか良心とか人間の優しい感情を土台に、考えることができない部分があるのであります。
私は、そのときを振り返り、イジメた相手に憎しみを持つと同時に、イジメられた友達にも怒りを持つのです。
今、マスコミで騒いでいるような、学校の責任や教育の改革では、決して解決できないと肌で感じるのですよ。
ただ、私はイジメられる子に、「馬鹿やろう!強くなって戦え」と思うのが本心なんですね。
戦争を体験した人が、戦争に対して愛情論が空しく聞こえるように、私もイジメに対してはシニカルなのかも知れません。>KISHIKOさん
エイジ
2006/11/06 18:21
という訳で、イジメ関連BLOGは、私の怒りBLOGなのです>ヒロシさん

弱い人こそ、強くなって欲しいです
現実は、誰も助けてくれない場合が多いのです。
そんな時、世を恨み、人を恨まないようになるには自分が強くなるしかないと思うのである>ruriさん


エイジ
2006/11/06 18:30
rieさん。はじめまして。
実は私も、来る日も来る日も逆運で、毎日がイライラだったことがあるのです。どんな手を打っても無駄だったので、途方にくれたとき、
そのとき、「もはや、この環境を乗り越えるには、自分の心が強くなるしかない」と考えたのです。
思えば「怒ったり、悲しんだり」するのは、自分の心が弱いからに違いないと思いました。それから常に「マイナスの感情」が出てくると、意思の力でそれを打ち消すという日を過ごすうちに、あら不思議、環境の方が変化していったのです。
これが原体験なのですよ。
勇気を持って、お互いに心を強くしましょう。>rieさん<きっと道は開くと信じています。
エイジ
2006/11/06 18:36
すごく丁寧なご回答、有難うございました。

それから、ひとつ前々から感じていましたのは、今の時代は、私の若い頃に比べて、言葉の持つ力が弱くなった・・・ ということです。
(いつも、昔話ばかりで恐縮なのですが・・・)
言葉で武装するということが無くなったと同時に、自らの意思、感情を言葉に変換することが欠落してきたということ。つまり、自らを時間をかけて推敲することがなく、単語としての発信で終始していること。
ちょっと、解りにくいかもしれませんが、要は、時間をかけて考えを深め、一番ふさわしい言葉を選んで発信するという行為。
そういう事がだんだん無くなってきているようですね。

単なる感情の発露の応酬では、自己を確認することだけでなく、相手を新たに発見するというところにまで至らない。

だいたい、言葉の持つものすごい力自体、理解されていないようですね。




KISHIKO
2006/11/06 19:27
言葉というか、人と人の影響は、感応同交しかないと思うのですよ
魂と魂、人格と人格との交わりが希薄な状態では、いくら美辞麗句を並べても伝わらないと思いますね。
その点、文字は難しいです。
聖人が文字を残さなかった理由は、文字の限界と曲解があるからだと思います。
結局、今はぶつけられる魂が希薄なのが教育の問題かも知れません。>kishikoさん
エイジ
2006/11/08 18:34
最近仕事上でのトラブル等できつく、困難をどうしようと検索して
このブログが一番響いた。なにが一番きついのかというと結局自分で
自分の心を追い込んでいくことなのだよな。だって困難から逃げるなって
いったってどうしたってかかわらなければいけないんだから。
その渦中で心が負けてしまえば自殺等につながってしまう。
気にするなとつぶやいてがんばっているのだが今はまだ我慢、我慢の
境地にしかなれてないな。まあ今年大厄でもあるしあと1年我慢になるかも
しれんが、その先でも変わらなければ一回会社やめますわ。
yukio
2008/11/16 22:31
yukioさん。
いま彼方はチャンスですよ。
人生の厄を全部落とせる厚遇です。
こんな時期にはですね
仏教では
「不動明王」のように生きろ。
と教えます。
そして「不動明王」になったときに
運命はきっと変りますよ。
エイジ
2008/11/19 18:20

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