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zoom RSS 性悪説のススメ

<<   作成日時 : 2006/09/20 23:08   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 23

最近、ネット上で見かけたのであるが、アメリカンジョークで「通行人に溺れた人を助けさせるにはどんな言葉をかけるべきか?」というのがあり、国民別に有効な言葉が書いてあった。
アメリカ人には「助ければ、英雄になれますよ!」
ドイツ人には「助けることが規律になってます!」
フランス人には「助けてはいけません!」
イタリア人には「助ければモテますよ!」
日本人には「皆が助けに飛び込んでいますよ!」
と声をかけると、通行人が川に飛び込むというジョークである。

日本人について、「和を大事にする国民性」「恨みを長く持たない性善説を信じる国民性」と言われるが、確かに日本人は和を大切にするというか、「人の目」「世間体」を気にする民族である。
外国なんかでは「夫婦同士がしょっちゅうキスしたり抱きしめあって愛を確認する」のは、そうやって愛情を確かめないと離婚の危機に遭遇するからである。
しかし日本人は、夫婦関係でも「釣った魚に餌はやらない」でも円滑に夫婦生活が営める、離婚されないのは、日本人がお人好しであるということもあるが、それ以上に、日本人の特性である「人と違っていると恥をかく」「離婚したら世間に恥ずかしい」という「他人の目を気にする」という思想が根底にあるのが大きな理由であろうと思う。また社会構造が離婚者に優しくないという土壌があるのも確かである。

このような甘えの構造の中で暮らしている日本人は、総じて「性善説」を無意識に信じており、だから逆に日本人は信頼してる人から裏切られると、非常なショックを受ける。
裏切り行為に対し、免疫がない理由は、日本は「甘えの構造」で暮らしていける平和な国だからである。
ゆえに、このような「性善説」の信者が多い日本で、ボスになるのは皮肉にも「性善説」を信じる者ではなく、必ず「性悪説」の信者であるということを忘れては成らない。

人間を哲学的および宗教的に考える上では「性善説」に立つべきか?「性悪説」にたつべきか?は難しい問題になるであろう。
しかし、「人を動かす為」、また「ボスに成る為」には、絶対に性悪説にたって行動すべきであると私は思っている。

人間の本質や生き方を考える上では「性善説」はある面では正しいであろう。しかし、「人を動かす」もしくは「人望を得る」という目的で人間関係を考えるならば「性善説」にたっていると、ろくなことはない。

たとえば、「性悪説」にたっていれば、「俺とお前は親友なんだから、これくらいのことで怒るなよ」などという「甘え」は出てこないし、いくら物事に熱心で優しい人がいたとしても「このまま優しさに甘える」という狡猾さも出てこない。
たとえ10年20年付き合っていたとしても、「親切さ・礼儀・丁寧さ」を忘れてはいけない。
もしも、「性善説」にたっていれば、信頼している人から些細な裏切りを受けた場合に「あんな人だと思わんかった!」と「逆恨み」をするようになるが、「性悪説」にたっていれば、自分の行動に非が無かったか?とか状況を冷静に考えることができるであろう。
常に性悪説にたっていれば、人間関係において緊張感が保てる故に、ちょっと親しくなったからと言って失言したり、義理を欠くようなことはしなくなる。

また日本人の特性として「性善説の信者が多いこと」と、もうひとつ忘れていけないのは「義理人情に価値を置く」という性向である。
その一つの例は「判官びいき」という形をとる。
いわゆる、団体意識が強いゆえに、権力に対し弱いように思えるのだが、その反動として日本人には根強い権力嫌いがある。
権力者が見せる無礼で横柄な態度が大嫌いなのである。
故に権力者に対する観察も厳しい。
だから、権力者の田中角栄が背広に長靴を履いて野良仕事をしてる農民にわざわざ畑まで出向いて握手を求めるという行為は非常に受けるわけである。
外国で人望を獲得する上で大切な要素として「信仰」が土台として考えられるように、日本で人望を獲得するには、「義理人情」が土台であろう。

以上の考察から、即ち、日本人は、本質的に性善説を信じ、非常に甘えの気質が強い。また所属してる団体の調和を乱すことを嫌う団体意識の強い民族であり、観念的な神の信仰よりも義理人情という信仰が根づいている。という点を考慮すれば、「性悪説に立脚した義理人情に厚い人間」は必然的に「人を動かせる人物」「尊敬を得る人物」に成りえると思うのである。

以上、良い意味での「性悪説のススメ」でした。

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コメント(23件)

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なるほどねぇ
ほんま 考えてみたら そぉなんやろぉ(*´・д・)(・д・`*)ネー 
そないに難しゅぅ考えた事おへんかったわぁw
ばぁ
2006/09/21 00:07
性悪というよりも、チョイ悪でいいのでは?
エイジさんの、なぜか紳士的な一面と、チョイ悪なところのギャップが
とっても素敵だと思うのです、はい。
NORI
2006/09/21 00:39
性悪説は、「人に七回裏切られても、その10倍人を許しなさい」というイエスの言葉に通じると思うのですよ>ばぁさん

あああ
noriさんの日記で、マザーテレサの「カルカッタ」ってあったよね
あれってまさに、「性悪説」の視点だ>noriさん
エイジ
2006/09/21 12:53
私が長男のやる事にいちいち疑ってかかるのは性悪説でしょうか?
最近は次男もですけどね(^_^;)
あ〜かわいいのは三男坊だけだわっ。

サンタママ
2006/09/21 13:32
商売柄,相手方はもちろん依頼者についても性悪説で臨まなければならない哀しい現実がありますね。利害が対立すると,エゴイステックな人格が丸出しになってしまいますから。
でも,私自身,人の善意に助けられたことが何度もあります。
人が,どのように行動するかは状況次第であり,性善・性悪という枠組みで捉えられないように思うのですが,如何でしょうか。
bara17
2006/09/21 19:28
子供の場合は、性悪説というか教育しておかないといけないと思います。
放任主義はわがままな子供になるだけだと思う次第ですが、厳しい母親に育てられると肺とか皮膚の病気かちの子供になるようです。
教育は、厳しさや甘さだけでは駄目なようですね>サンタママさん


ペテロはイエスに自分は他人を何度許せば良いのでしょうか? 7度でしょうか?と尋ねました。イエスは「7度ではなく、7度の70倍許しなさい。」と教え、1万タラントという大金の借金を許してもらいながら、100デナリという小額の借金を許すことのできなかった男のたとえ話をされましたが、この場合、性悪説というのは言葉が適切でないかも知れませんでした
これは、「たとえ好意を仇で返されても、好意を続ける」という意味というか、いわゆる人間は不正で悪いけれども、赦すという愛の実践という意味を表現したかった訳なんですけどね
人の行動はおっしゃるとおり、状況次第で善にも悪にもなる。
ゆえに、「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまで」の言葉に重みがあると思うのです>baraさん
エイジ
2006/09/21 19:59
おひさしぶりです。いやあ、このステレオタイプ、面白くて笑ってしまいました。そして、なぜか、秀吉、家康のホトトギスを思い出してしまいました、、、いろいろ考えていますが、私は性善説派かな?みながもとはいい人だと信じたい、ある意味でのほほ〜んとしている人間なのかもしれません(笑)
しんじ
2006/09/21 22:16
この川に飛び込むジョークで「大丈夫、保険かけてありますから」ってバリエーションも言うのもあったとような気がしますが、アメリカ人にだったかな、何人だったかよく覚えていません。。。
ヒロシ
2006/09/22 14:31
性悪女と言われないようにがんばります。
海流ママ
2006/09/22 16:30
ホリエモンを思い出した Byレセママの息子
レセママ
2006/09/22 21:25
よお〜し:熱く〜重いを、語るかな?《想い〜!》勉強になりました。
初めまして^^・・・又・・・きます!^^
かすみ草^^
2006/09/23 16:36
性善説といっても、良し悪しの判断基準は、個人的には、実はかなり異なっているものですね。自分の相手に対する判断は、概して、「思い込み、決め付け」であって、実際には微妙に、または大幅にずれていたりするものですよね。
性善説、性悪説というのは、人間性の「単純化」にすぎなく、人間はもっともっと、複雑で、善と悪を「無意識に」巧みに使い分けているものだと思います。
ただ、日本人が性善説に傾倒するというのは、島国で、外国からの侵略がほとんど無かった事、単一民族(本当は全く違いますが)単一言語であるということから、自他をあまり意識する必要が無く、結果、自他の同一化という傾向になっていると思います。
それをよく表わしているのに、日本人は「言葉や動作で相手に伝達する行為」を遠ざけ、あえて、「相手から察してもらう」という受身的行動で、物事を収めようとします。実際にそれで、トラブルも多いのではと思います。諸外国では通用しませんよね。

日本人も、能動的に、言葉で発して、自己確認すると同時に、明確に相手にアピールすることを重ねる事で、いわゆる国民性も、少しずつ変ってきているような気がします。
KISHIKO
2006/09/24 01:17
補足ですが、日本においては、個より、属性が優先するという傾向があると思います。それこそ、独立した「個という他者」の捉え方が苦手というのは、自他同一化、相手の違いが認識できない…つまり、自分の中での、他者に対する単純化こそが、性善説という、自分に都合のよい捉え方になっているのではと思います。
KISHIKO
2006/09/24 01:28
おしさしぶりです。しんじさん。
かく言う私自身が、「あんな奴だと思わんかった」という甘えの構造の性善説主義者なんですよ>しんじさん

大丈夫 保険かけてありますから。。ですか?
気になるな どこでしょうね
アメリカではなかったと思います
何処かな?フィリピン?(爆)>しんじさん

性悪女という響きには、悪女のイメージがあるな
海流ママには悪女のイメージは無いです>海流ママ
エイジ
2006/09/24 13:56
ホリエモンは、僕の言いたい性悪説とちょっと違うな
僕の言いたい性悪説は、「親切をしたら悪意で帰ってくるかも知れないけれども、それでも親切をする」という性悪説なんだよ>レレママの息子さん

はじめまして。かすみ草さん。
かすみ草といえば、こんな短歌を思い出しました

かすみ草に
いたるやさしさ
花束の
できあがりゆく
さまを見ており

かすみ草の花束は美しく優しいです
また来てください>かすみ草さん
エイジ
2006/09/24 14:10
なるほど
自他同一化、相手の違いが認識できない…つまり、自分の中での、他者に対する単純化こそが、性善説という、自分に都合のよい捉え方になっている
いわゆる、甘えですよね
でも、そこが日本人の愛すべき美徳であるのも事実でしょうね。こんな純朴さは単一民族ゆえの楽観主義ですね>KISHIKOさん
エイジ
2006/09/24 14:14
ふ〜ん 納得 ホリエモンは親切をしてなかったわ byレセママの息子
レセママ
2006/09/24 18:51
よよっ!
本当の私は…どうかしらぁ〜?( ̄―+ ̄)ニヤリ
海流ママ
2006/09/24 22:18
まぁ 今日はそれくらいで許してやる>レセママの息子

本当の海流ママはアンパンマンではないのか?>海流ママ
もしやジャムおじさんでは?
エイジ
2006/09/25 12:25
( ̄〜 ̄;)ウーン・・・当たらずとも遠からず…かも?

ヾ(≧∇≦)ゞ チガウ〜   もっとカワイイのがいいっっっ!!!
海流ママ
2006/09/25 18:16
ヾ(≧∇≦)ゞ チガウ〜
この顔文字は海流ママに煮てますね>海流ママ
エイジ
2006/09/27 12:38
>「たとえ好意を仇で返されても、好意を続ける」
実践してるかもしれません、いまも、愛しています。献身は愛であるか否かは、愚問かもしれませんが、自己犠牲ではないものだとわかりました。きっと、相手の本質の輪郭がみえたからだと思います。すべては、信じることしかないと思っています。でも起伏は平らなのです、ふしぎ。
ゆみ
2006/10/24 05:19
愛を信じること。
それはとても深い意味がありますね
もちろん自己犠牲という意味でもないですね
信じることは、僕の人生の中で、ひとつの大きな目標でもあります>ゆみさん
エイジ
2006/10/24 18:29

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