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zoom RSS 逆境に屈しないということ

<<   作成日時 : 2006/05/11 20:17   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 1 / コメント 7

以前自分の書いたBLOGを読むと、自分の考えのベクトルが判るものですね。

不思議な程、運がいい男の話

よく考えてみると、僕は常に、いかにして恐怖とか不安を感じない生き方をするか?ということに重点をおいているのだ。
そんな傾向があることを、あらためて知った訳である。

たぶんそれは、僕が「不運とか逆境」に対してある結論を持っているからである。

その結論とは、「人は誰でも逆境を体験する。しかし、逆境に屈する限り、また逆境に甘んじて無気力になる限り、逆境は続くが、逆境に屈しなければ長くは続かない。」という自分の考察である。

逆境の克服方法についての私の考察。

そもそも何故、逆境に見舞われるかと言うと、私の考えでは、「心に恐怖や不安がある」故に、行動や考えが「消極的」で「おどおどしている」為に、恐れていることや心配していることが現実に具象化する。と思っているのであります。
よく不安が的中したというが、半分は不安が結果を呼び寄せたともいえる。

では、脳天気に不安を感じず楽天的なら逆境は来ないか?
残念ながら脳天気でも逆境は来る。しかし、逆境に屈しない勇気があれば、逆境は長くは続かない。

作家のマーク・トウェインが「怖れていることをすれば、確実に恐怖心は消える」と書いていたが、まさに「怖れていることをする」とは、恐怖に打ち勝つ勇気があるということに他ならない。
人は誰でも逆境を体験する。
大切なのは逆境を短期間で終息させることである。その為には、逆境を怖れないという決意が最も大切だと思うのである。

仏教でこんな話がある。
ある坊さんが農家の民家で説教をしていると、赤ん坊がおしっこをちびり、そのおしっこがご飯のところまで流れて入ったのを見た。
坊さんは「まさかあのご飯を私のところに出しはしないか?」と怖れていると、恐れは的中し、家人が気づかず、そのご飯をよそって坊さんに出したが、坊さんは、おしっこが入ったのを見ていたので、「僧は出された物は全部食わねば為らぬ」の戒を破り、ご飯を辞退した。
坊さんは思った。「おしっこの入ったご飯を食べずにすんで良かった。私は運がいい。」

その後、再び、同じ民家で坊さんが説教をした。説教の後、一杯の甘酒が出された。坊さんはおいしくその甘酒を飲んだ。飲んだ途端、不安になり家人に「この酒をどうやって造ったのか?」と聞くと「この前のご飯で作りました」と答えたという。

さて、この話は何を教えているのであろうか?
「僧は、おしっこ入りのご飯を食べなかったからダメだ」という意味であろうか?
「縁のある物からは逃げられない」という意味であろうか?
私の解釈は違う。

仮に、
もし、この坊さんが、「僧は出された物は全部食わねば為らぬ」を徹底できた僧であったならば、おしっこ入りのご飯を食べる縁さえも無かったかも知れない。
坊さんが、おしっこ入りのご飯を食べなければ為らなかった理由は、
「僧は出された物は食べねば為らぬ」の戒を徹底できない坊さんの僧としての弱さ、矛盾があった為ではなかろうか?
すなわち、逆境や不運は、己の未熟さや心と行いの矛盾故に生じる現象であって、心行一致なる人格であれば逆境は来ないのではないか?

しかし、このような因果律の話をすると、諸々の不運に見舞われた人に対し、「君の環境は、君が未熟だから生じたのだ」などと思ってしまう罠がある。
いじめられた人にはいじめられる理由があるという話と同じであって、それ故に人を非難するのは大きな間違いである。
いわゆる小乗仏教的な因果律には愛が無い。戒律を重んじるのみの宗教や哲学は不完全な教えである。
愛が無い哲学に、幸福は無く、方向の誤った哲学である。

実際には、人間は不幸があると自分を責める。不幸にして事故や災害に遭うと「なぜ私がこんな目に会うのであろうか?」と罪の意識を感じるものである。
その上に人々の冷たい視線があれば、罪や穢れを厭って怒れる神に犠牲を提供するスケープゴードの思想である。
こんな世界は地獄である。

しかし、被害者が罪を感じることは、不安であり恐怖に他ならない。
罪を感じること、それこそが罪なのである。

なぜ、僕が「いかにして恐怖とか不安を感じない生き方をするか?」ということを考えているかというと、不幸にして災難に遭った人にも、運良く災難に遭わない人にも共通の運命逆転の真理と考える故である。


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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
逆境にあっても逆境など経験がなくても、そもそもそんなに簡単にうちひしがれるほど、人間単純には出来ていないと思うんです。
例えば、手術中の番組を衛星放送でみながら食事をするうちの母は、相当に能天気だし、失恋後に3ヶ月は立ち直れずにくよくよしていた私も
その後はケロっとしていたし。
のどもとすぎれば暑さを忘れるように、人間はタフな生き物なのだと思います。
NORI
2006/05/12 00:20
もしかしたら女性の方がタフなのかも知れないですね。
男の場合、失恋で数年間棒に振る場合があります。
エイジ
2006/05/12 00:36
基本的に女性のほうが、逆境を回避する
能力をもともと持ちあわせてる気がします。
それは逆境に立ち向かっているのかは
定かではありませんが、無意識化の中の
防衛本能のようなものが、女性は強いのでは、
動物学的から見ても種族維持に必要なのは
雌の数、雄は少なくてもいいですものね。
それ故に雄はいかに優秀な遺伝子を残すかが
問題になる。その為男性は
いかにして逆境を回避する
術を身につけるかで
生き残りが出来るかが決まるのでは・・・
かなり本題から外れてしまいましたね。
すみません。
カモちゃん
2006/05/12 20:51
「罪を感じること、それこそが罪なのである。」耳が痛いです。周りがそう思っているというのは本当に自分で確かめる余地もなく、結局自分の中にある周りの目というものが罪を感じさせる訳で、、、自分の中にある周りの目というものとどう向き合うかが自分を強くするの自分で自分を縛っているものから解放する)のには大切なんだと思います。自分の可能性を限っているのも自分、のばしているのも自分なんですよね。よ〜し、がんばるぞ!
しんじ
2006/05/14 00:02
ふむふむ
なるほどね
メスの場合は、オスほど戦士でなくても自分の子孫を残せる訳だから、メスの方が強い性である。
確かに。納得です>カモさん

怒りがわき起こるのなら正常でね。
この前の大阪の列車事故でも、生き残った人が罪を感じて立ち直れない程の心身症の方が多いそうなんですよ
また、オームのサリンで亡くなった家族を持つ人も、オームに対する怒りよりも、「なぜ 私の夫(妻)がサリンで死ななければ為らなかったのか?」と考えて自分を責めて心身症になる人が多いそうなんですよ。
人間って悲しい程、弱い葦なんですよね>しんじさん
エイジ
2006/05/14 00:20
このお坊さんのお話面白いですね。。。。

そういえば広島長崎の被爆者の方が、罪悪感に悩まされている(いた)と聞いたことがあります。彼らは何も悪いことをしていないのに、そんな目にあうのは、自分の行いが悪かったからだと自分を攻めたりするそうです。また、被爆後に各種の外傷、放射線障害等で亡くなった人たちを救うことができなかったのに助かってしまった自分がいることや、被爆者故に回りに心配をかけたり、怖がらせたりしてしまう自分の罪を感じるようです。その話を読んで、彼らにどんな癒しがありえるのだろうかと悩みました。彼らには「罪を感じることこそが罪だ」とは簡単に言えないほど、乗り越えなくてはいけない壁があるような気がしますね。
ヒロシ
2006/05/14 12:18
そうなんですよ ヒロシさん

これは人間の特性なんですね。
実は、この原理は、ドア・イン・ザ・フェイステクニック
という販売促進に使われるのです。
最初に無理に思えるようなお願いをして、相手がワザと断わるようにもっていきます。この時、相手は頼みを断った事に対して少なからぬ罪悪感を抱いてしまうのです。そこを狙って、要求のレベルを下げて承諾してもらう方法です。
今度blogしようと思ってます。
エイジ
2006/05/15 12:25

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