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zoom RSS 人を殺しても良いか?

<<   作成日時 : 2006/01/22 14:03   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 20

今回は、非常にヘビィな話題である。
テレビで「人を殺しても良いか?」という番組をやっていたが、私が思うには、そんな質問は愚問であって、「殺されても良い人はいるか?」と言う問題をまず論議するべきである。
現に世界中で人殺しや死刑が行われている訳で、それぞれに「殺しても良い相手」もしくは「殺されるに値する相手」だから殺し合いになるにすぎない。
もしも「殺されても良い人はいない」と答えるならば、死刑制度や戦争は止めなくてはならないし、「殺されても良い人は殺しても良い」と考えるのならば、死刑や戦争は無くならない。
ただ確実に言えるのは、死刑が無くなると凶悪犯罪が増加するであろうし、死刑や戦争がある限り「人を殺すのはダメだ」と言いきれないのは事実ではないか?

日本は死刑制度がありますが、死刑制度のない国もあります。ヨーロッパ諸国の多くは死刑制度を廃止しています。でも戦争はやります。
イギリスなんかはまさに戦争はやるし暗殺もしますが死刑はしません。
イギリスはちがった理論で死刑を実施しないだけで人道に則った判断ではないと思うが、人道的な見地からすれば、矛盾に他ならない。

ここで疑問になるのは、「人」の範囲を広げて「自分」を考えてみた場合である。
「自分を殺しても良いか?」という問いである。
通常の観念ではダメだと言えるが理論的には答えることは出来ないと思われる。
しかし、現実に知って欲しいのは、「生きたい人がいるのに死ななくてはならない人」がいる一方、「自ら死に急ぐ人」がいる不条理であろう。生命は決して平等ではない。

さらにここで「自分」を広げて「生命」について考えてみたい。
「魚は殺しても良いか?」「蚊は殺しても良いか?」
無謀な意見は除外し、一般的に良識ある賢明な答えは、きっと以下のようになる。
「殺してるのでは無くて、生命を生かす為に殺して食うのである。だから感謝して残さず食わなくてはならない」
魚の分まで立派な人間になれ!ということである。
蚊については、「無益な殺生はすべきでない」と答えるのが一般的であろう。しかし、血を吸われたり、伝染病の危険があるので、誰しも本能的に躊躇せず蚊を殺す。

では「生命の重さに差はあるか?」という問いには何と答えるのか?
生命の重さ自体に差がある筈はない。人間は魚よりも偉いとしても生命という範囲では同じ部類である。
ゆえに 「生命の重さに差はない。従って魚を食べるのは殺生に他ならない。」となる。

もしも純粋に生命の重さと殺生の罪の考察を進めれば、必ず、宮沢賢治の「よだかの星」のように、殺生を拒否して空を上昇し続けた鳥のよだかの如く、死を選ぶしかないのである。

ここでひとつの結論に達する。
それは「人は殺さずには生きられない」という宿命である。

生命を食わなければ死ぬしかない。
だから、殺しても良いとか、他の生命を生かす為に食う という理論になってはいけないと思うのである。
「殺さずには生きられない罪深き人間である」という悲しき存在を前提にすれば、「こんな罪深き自分でも、魚のように自分を養ってくれる生命があるのか!」という奇跡に感動できるのである。
「南無魚菩薩様」で合掌する気持ちで一杯になるのである。
この心境は、同じ魚を食べるにしても、「魚の分まで立派になれ!」とは対極にある心境であるのだ。
なぜなら、「いただきます」の心境は、魚と自分では、命を与えてくれる魚の方が立派なのである。

このように、理論は出発点の違いこそ重要なのであって、出発点が違えば答えも変わり、どんな結論にでも理屈はつくということが盲点である。

故に、こういう人間の置かれた立場を鑑みれば、理論で説明できないけれども「人を殺した人」は殺された人、その周りの人々だけでなく、殺された人を生かしてきたすべての魚や蚊に「殺してごめんなさい」と謝らなくてはならない筈である。まして、殺人者を生かしてきた魚や蚊に対して同罪の迷惑をかけたわけである。今まで自分の血肉となった魚にも謝らなくてはいけない。
「自殺したい人」は、今までなんとか自分を生かして血や肉になって無駄死にした魚や蚊にどうやって償うのか?まして養ってくれた親の悲しみは想像を絶し、汝は万死に値せんや?
「戦争をしても良いか?」などというのは、どんな高邁な理由があったとしても、極めて高慢な愚問であり、どうしようもできない人間の原罪の深さを見るだけである。



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コメント(20件)

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やっぱりあれ、読みましたね。「国家の品格」。どうもリクツがかぶってるなあ…。と思いつつ記事を拝見しました。あの本、もっと「右翼的」「父権的」な噴飯モノかと思いつつ読んだんですが、あにはやらんや、非常に面白く、考え方の根幹を変えさせられてしまいました。近々これについて書こうと思っています。
シーラカンス
2006/01/22 20:02
宮崎被告を思い出しながら読んでしまいました。
罪もない人を殺したやつなんか、生かしておきたくない!
やっぱり、悔い改められない人殺しを裁くには、死を持って!という気持ちになる事件もあるけど。。。。。
もし、自分が死罪になって、死に方を選べるなら、どんな死に方を選びますか?
NORI
2006/01/22 20:51
シーラさんも買いましたか!
立ち読みでしたが、岡村さんに買えと言われて買いました。
良い本だと思います。みんなに読んで欲しいですね
「国家の品格」について述べれば、藤巻先生の話は、けっして彼が一人で思っている話ではなくて、昔の賢人達の話を藤巻流に述べているというか、やっぱ真理は同じだよね
って事ですよね。右翼や左翼じゃなくて正しい事を述べていると思います。僕が「国家の品格」を立ち読みしたきっかけは民主主義について書かれていたからですが、民主主義の悪い面を論じた本を最近、見かけなかったからです。僕の民主主義に対する考えの骨格になっているのは「ユダヤ議定書」と言われる発禁本ですが、藤巻先生の理論によって民主主義が懐疑的に書かれ、それが異端書扱いではなく新潮文庫として店頭に並んだことは素晴らしいです。これもアメリカの欠陥が見えてきたことに対する社会現象でしょうが、もっと以前から判っていたことなんですよね
エイジ
2006/01/22 23:17
人間は少なからず、死刑判決を受けたような存在でありますので、もし、死に方を選べと言われたら、生き方を選べということになると思います。
そうだな〜
「やりたいことは全部やって後悔しない生き方」ですね
エイジ
2006/01/22 23:20
「国家の品格」は,ひとまずおいといて。
珍しく,法律家としてのコメントなぞ致します。
民主主義などキリシタンバテレンの邪宗ですが,価値相対主義には観るべきものがあると考えます。1億2000万個の正義が容認される国家を価値相対主義国家と定義することが許されるならば,他者の価値を侵害することなかれ,間違っても,他者の命を抹殺するなどと考えることなかれという結論が導けそうな気がします。
これまで何通か殺人の調書をとってきましたが,殺人の調書を完成させると,被害者は殺されるべき者となってしまうのですね。それほどに人の存念はおぞましいものです(宮ア被告のケースはまるで別)。
人が人を殺してはならない(ゾレンの世界)と
人が人を殺す社会(ザインの世界)との見境がつかなくなっているようだけど,汝殺すなかれは,最小限度の規範として残りそうな予感がします。だって,人は一人で生きているわけではないし,殺された人にも家族がいるわけですから。
今日は,珍しく法律家よっちゃんでした。
y_okamura
2006/01/23 13:13
なんか難しい討論の中でバカな発言していいかな。
人を殺していいか。それはダメです。
戦争が終わらないとか、事実人殺しは無くならないとか、そんな現実ではなくて、人を殺す事を肯定してしまったら、人として悲しくないですか?
痛みに鈍くなるような世の中であっては欲しくないです。
自殺も他殺もなくなりません。戦争だって。
ただ、人は産まれてきた以上何らかの繋がりを人と持って生きていくわけで、その繋がりを切ってしまう事の罪と悲しさを忘れてはいけないと思うんです。

事実を理屈で整理する前に
人の感情がもっと豊かである世の中であって欲しい。
ニュースで流れる悲しい事件に慣れる事なく、痛みを忘れないで欲しいと思う。

・・・アホ丸出しpepeでした。
pepe
2006/01/23 15:25
法律家よっちゃんですか!
確かに、法律の世界においては、「民主主義」「自由」「平等」を基準にして
法律家の「慈愛心」を基準として裁いてほしいと思います
そう考えると、よっちゃんが、イエスに惹かれる理由は当然の帰結ではないか?と敬意を表するものであります
だって、裁判官って人を裁くのですから一種の「神」だもんね>岡村さん

おおお!pepeやん
思うに
君が一番賢いことを言っておる
そうなんだ
そのpepeの持ってる悲しみに対し、人間は鈍感になってしまったのである
おおよそ殺人のない世界には、殺人という言語さえも存在しない筈である
君は賢人です>pepe
エイジ
2006/01/23 18:15
人が人を殺すというテーマは,そろそろおしまいにしたほうがぶなんじゃないじゃかな。
人は,濡邪気に人を殺すよ。今も真犯人はあがってないと思う。もう四年半ほ前のことだから解らない。
人は,人を殺す。それだでで,このブログの意味は達成されたのではないかなああ。
y_okamura
2006/01/23 23:30
そうですね
そういう風に解釈して頂けてよかった
目的を理解して頂いて有難うございます>岡村さん
エイジ
2006/01/24 12:32
「人を殺しても良いか?」
   ?
「そりゃダメですよ」
スイマセン・・・
最近のエイジさん更新が早くてついて行けないワタシです(×_×)
aki
2006/01/25 13:18
更新といえば、最近 美人奥様達は更新が遅れてますが寒いからでしょうか?>akiさん
エイジ
2006/01/25 23:38
最近子どもをしかると「お母さんなんか殺す!」とか「死んでやる!」とか過激なことをいうので心配です。いつかそんな日が来たら、「産むんじゃなかった・・・」と本当に後悔するんでしょうね。これは何の影響なんでしょう、育て方が間違っていたか?と思う日々です。
エイジさんはPTA会長のお仕事のほうは順調でしょうか。
スー
2006/01/26 11:52
なんか「ぶっ殺す」とか言うのが小学生の流行なんでしょうか?
やっぱし、スポーツクラブに入れるといいですよ
そこで「ぶっ殺す」なんて言ったらボコボコにされますからね
PTA会長じゃないですよ
まだ新学期始まってないしね>スーさん
エイジ
2006/01/26 18:00
やっぱり子どもには体を動かすことを教え込み、体を動かす仕事をさせてみるというのが一番かもしれませんね。いやその、自分のところでそうしている、というわけじゃないんですが。保育所と学童保育で結果的にそうなっていて、それはどう考えてもウチの子どもたちにいい影響を及ぼしている、っていうふうに、見てて思います。
シーラカンス
2006/01/26 19:07
なーるほど
体を動かす仕事をさせる ですか
子供はほっておけば、必ず悪くなりますからね
強制的に正しい教育を仕込むことが大切ですよね
絶対そうです。
エイジ
2006/01/29 16:46
昔「新潮」かなんかで「どうして人を殺してはいけないか?」という特集をやってて、野坂昭如が「殺したら殺されるから、殺してはいけない」と言っていました。その説明は長くなるので省くけど、なるほどと思いましたよ。

あと、「生きることは義務」だと三浦綾子が言ってました(正確には彼女がだんなさんから言われた)。これもホントにその通りだと思います。天から与えられた生が神の裁きにより死を迎えるまで、全身全霊を込めて全うするのが人間に与えられた使命だと。

あと、死刑を廃止すべきかどうかという問題はとても難しくて、自分の中で答えが出せません。だた、全世界で冤罪を被り処せられた方がものすごく沢山いるという事実を聞くと、人の裁量には限界がある以上極刑を処する権利を与えることはあるいは危険なことなのかもしれない、、、とも思います。
るり
2006/02/02 07:04
るりさん 体調不良の中コメントありがとう
冤罪があるゆえに、死刑廃止の意見が多いのは確かです
しかし、逆に死刑を復活させようとする国もあります。
人間は刑罰がないと、事件が凶悪化するようです
エイジ
2006/02/03 12:24
はじめまして、人を殺していいかについて、興味深く読ませていただきました。
私的な意見ですが 「殺さずには生きられない罪深き人間である」という悲しき存在を前提にすれば、「こんな罪深き自分でも、魚のように自分を養ってくれる生命があるのか!」という奇跡に感動できるのである、 の部分に違和感を覚えました。
バイトですし屋で働いて、日々魚の腹かっ捌いて内臓を素手で引き千切り、三枚におろしているからかもしれませんが。
奇跡に感動されようがされまいが魚にとってはいい迷惑だな、とか思ってしまいました。
調理される前の生き物の姿を、日々ただの肉片に壊している自分にとって、感謝しようがしまいが食事と言う行為は他の殺害だなあ、と思ってしまうのです。
そこらへん突き詰めると生きると言うことと殺すと言うことは同じ意味に感じてしまうので、場合によっては殺人も仕方がないのかと思ってしまいます。
リスクが大きすぎるので自分ではやらんとは思いますけど。
それでは、長文失礼しました、
サトシ
2006/04/01 17:55
サトシさんコメントありがとうございます。
私も学生時代にラットをかなり殺しまして、最初は抵抗があったのですが、だんだんラットが生き物ではなくて物体に見えてきました。その後、「さっきまで生きていたのに今は死んでる。命ってなんなの?」という感慨を感じました。殺しているのに、妙に命に対して愛おしく感じるという変な感動みたいな感覚です。この感覚は、私の場合は、ラットを殺していないと実感できなかったと思います。
サトシさんも、命と関係している仕事なので、おそらく単に食べているだけの人とは違った感覚があると思います。
しかし、私が思うに、「人間は殺さずには生きてゆけない」という結論から、だから殺してもいいのだ という風には何かを殺している実感がある人ほど、結びつかないと思うのです。それは理論ではなく実感であって、殺している実感がある人ほど、命の意味が判るのではないか?と考えますし、サトシさんも同じような感覚だと思います。
人間は殺さずに生きているんだ という感覚の方が危ないと考える訳であります。

エイジ
2006/04/04 01:14
良い、悪いではない。
毒サソリをつつく事は良い事か、悪い事か
つつけば刺されて死ぬ、つつかなければ何事も無い
毒サソリに刺されない自信があるならつつけばいい。

すなわち、殺人の後、やってきた警察を皆殺しにし
出動した自衛隊を壊滅させ、政治家を淘汰した後にこう叫ぶ
「ここは俺の国だ!」これが戦争である。
何かを良い、悪いで区別しようとする事は
地球に衝突する隕石に対して裁判を行うほど滑稽だ。

この世にやってはいけない事などない。
自分が生きていられる保障は無いが。
宇宙は罪に問われない
2012/09/17 19:30

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