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zoom RSS 道徳の延長線に宗教は無い

<<   作成日時 : 2005/09/24 02:16   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 9

るりさんの 愛を語ろう!を読んでいたら、「結婚して恋をしたら姦淫」のような表現があったので、罪について考えてみたい。

私は小学生の頃に「日曜学校」なるキリスト教会に通ってました
といっても、家がクリスチャンなのではなくて、母親が「心が豊かになるから」という理由で行かせたと思う。牧師さん達はやさしくて、いつもお菓子をくれるので喜んで通っていた。

だから私は「旧約聖書」の話はよく知っている。
教会での話によって、幼い心に「原罪」という恐怖を与えられたので、「人間は罪深き者で清く正しい生活をしなければ地獄行きである」と刷り込まれたような気がする。

そして、思春期になったとき「女性に欲情したら姦淫の罪である」という項目だけで「僕の住処は地獄が必定である」とほぼ人生を諦めてしまった(汗)

そんなとき、僕は親鸞の「歎異抄」という書物を知って、光を感じたのであった。

「善人ですら極楽往生できるのだから、悪人ならば極楽往生するのは当然である。
というのは、この世に善人など存在しないからである。善人と思ってる人は心が高慢であって己の愚かさに気づいていないだけである。まして、道徳を実行したとしても生身の肉体を持った人間として、どれほどの功徳が積めるというのか?生きている間の、罪と功徳を比べれば罪の大きさのほうが多いのであるから、決して自力で成仏などできる訳がないのである。この事実を知って己を悪人と自覚する者のほうが仏の心に叶うものである。」

という文に私は感動したのである。
ここで明確に親鸞は「自力信仰」より「他力信仰」のほうが正しい教えであると結論する。

つづいて親鸞は言う

「決して自力では極楽に戻れず苦しみの海から逃れられないこの愚かな人間を見て、非常に哀れみの心を起こした阿弥陀は、なんとか人間を救い上げることができないか?と考え、「阿弥陀に助けを求めるだけで極楽浄土に引き上げよう」という清らかな誓願を立てられた」

では出家して人里を避け、山に籠もり、「成仏の為の108の戒律」を生涯犯さなかったら、成仏できるか?の質問に対し、後の蓮如はこう答えている
「自力で信心し、成仏したと思って死んだら竜や天狗になって生まれ変わる。誠の成仏は阿弥陀の他力以外は不可能なり」


阿弥陀の愛はキリスト教のアガペーと同一である。
また、この「信仰だけで救われる」という点は「キリスト教」と同じではないかと気づいた訳である。
私は「キリスト教」と「大乗仏教」の救済の方法は同じ「他力信仰」であると思っている。
キリスト教に教義がないと仏教者(特に戒律重視の小乗仏教系)は言いますが
「神の愛によって救われる」のであるから「教義」がある宗教は教義の無い宗教より
完成度の低い宗教であると思う。むしろ道徳ではないか?
そもそも教義があったり戒律があるのは、道徳や倫理であって宗教ではない。

といっても人間の守るべき道を説いた道徳が低俗だと言う訳ではなく、道徳は社会的秩序を守る上で極めて大切な教えであることに変わりはない。
しかし、どう考えても完璧に戒律を守れない人間であると自覚し、それでも絶望的な人間を救うのが宗教であると結論するならば、救済を目的とする宗教の教えには「神の偉大な愛を信じなさい」しか無い筈である。

昨今の新興宗教は、日蓮の言葉を引き合いに出し、他力信仰は誤った信心であると教え、「何回出席しなさい」とか「何人上げればポイントアップ」みたいな自力信仰であり戒律宗教が多いが、あれはマインドコントロールの為に日蓮を利用した罰当たりな誤った策であると思っている。
そもそも日蓮が最高教典だと言う「法華経」こそ、他力信仰の真骨頂である。

さて、法律では罪ではないが宗教では「結婚して恋をしたら姦淫」であることに間違いはない。
しかし、それが人間なのであり、それを守れない愚かな身である故に、神の存在は確実であり、救済も確実であるという一種のパラドックスのような根拠になると思うのである。



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という訳で「愛」についてちょっと書きます。 ...続きを見る
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2005/09/24 05:09

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
あつ、そうそう。人間には守れないの分かっているから、あえて神様はそう言ってるのだと思います。私は実は洗礼まで受けた身なんですけど、考えれば考えるほど唯一信仰って事自体がなんかしっくりいかないんですよね。やっぱ萬の神の国に生まれたからでしょうか。実際、共通点多いと思うし(今までも色々話題出てるしね)。
るり
2005/09/24 05:08
いわんや悪人をやってやつですね。この悪人が「犯罪者」というんではなくて、普通の人はみんなうっすら悪人ってことですよね。性悪説という点では二つは共通してますね。
ヒロシ
2005/09/24 22:11
性悪説というよりも
ジキルとハイドじゃないかと思う訳です
ジキル博士がハイドの蛮行に悩むように
良心がある ので性悪説という訳ではないような気がします。
エイジ
2005/09/25 00:37
なるほど、「自分は悪人」という自覚が得られるのは本人に良心があるからこそですね!
ヒロシ
2005/09/25 21:54
でもその認識って、多くの男性をのみ救ってしまいやしませんかね??
シーラカンス
2005/09/25 21:56
>シーラさん
女性も自分は100%善人だと思っているわけではないと思うんですが。
「悪人」の中身をちょっと違う文脈でお考えではなかろうかと思いますが、、、、
ヒロシ
2005/09/26 00:38
痛いところを突かれました>シーラさん
親鸞も悩んだように、性欲というのは男にとっては勝手に出てくるものですからね
女性と違って罪の重点が性欲になるのは仕方がないですね

そうなんですよ
ヒロシさんはよく理解されていると思います
悪人というのは人間の存在そのものに対する悲しみなんですね
宗教的悪人というのは、「殺すな!」と言われて
「だって肉食わないと死ぬじゃん」と開き直らず
「生命を殺して食わなければ生きていけない己の存在」という悲しみなんです
エイジ
2005/09/26 01:38
じゃぁ、やっぱり宗教ないと人間は救われないんでしょうか?
るり
2005/09/26 13:10
宗教というのは、教えではなく
愛を自覚しなければ、人間は救われないと言うことではないか?と思います
愛を自覚するとは、愛されていることを自覚するという意味かな?
エイジ
2005/09/26 19:14

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